信仰が三代目に伝わった!
シスターの感化により勉強を始めたOさん。小学生の2人の娘さんと受洗。
あれから30年。2人の娘さんは立派な母親に。しかも、姉はは2人、妹は3人の子供に恵まれ全員受洗。さらに、あの当時、クリスマスのミサに見えた若い夫婦も自宅での要理で2人の男の子と共に受洗。この小学生も今では、当時のボクと同じ36歳の立派な父親。奥さんと子供も受洗。島であることから他の小教区との行き来がほとんどないいわば隔絶された教会で、人知れず?信仰が三代にもわたってしっかり継承されていたことに感激した。これまでの司祭生活で奇跡に近いドラマというか感動物語の体験がないだけに、はしゃぎ回る子供たちを目の当たりにして今日(年間第23主日)のパウロではないが「私の心の三代目たち!」と抱擁したくなった。ミサの音声(屋久島も)。
2:00の中種子でのミサの後、当時の貧しい家族を訪ねるため南種子へ。母親が健在だと聞いたので是非会いたいと思ったのだ。父親は10年前に他界したというが、子供たちの消息を確かめたいと思った。
30年振りとなる母親は顔を見るなりニコリともしないで「ケンジロか?」に驚いたが、「イッタトモシランデヤ!アイカラカオモミセンジイマゴロナンシヨッタカウラミヨッタロ・・・」(島を出たことを知らなかったよ。あれ以来顔も見せずに、今頃になってどうしたことか。恨んでいたぞ)にはもっと面食らった。歓迎してないらしいと感じたからだ。それでも、「上がってもいい?」「ヨカロ!」少しためらいながら上がると、腰をかがめそこらに散らかったものをすばやく隅に押しやり昼寝の枕に巻いていた広めのタオルをその上に広げて目隠し。
「ソケースワレヤー!」(そこにお座り)その間も怒ったような早口の乱暴なしゃべりはやめない。仕上げにコタツテーブルを引っ張り出したかと思ったら突然両手を突いて丁寧な歓迎の挨拶。「久しぶりに・・・ようこそオジャリモウセ。」この落差!久しぶりの彼女流歓迎の仕方に2度面食らったがヤレヤレ。やっと真意がつかめてくつろぐことができた。早速子供たちのことを聞いた。早口の長々とした説明を総合するとそれなりに安定した生活状況であることが分かった。
そこに次男が軽ワゴンでやってきた。中学卒業と同時に地元の石材店に就職したことまでは分かっていたが今では同じ会社で社長の片腕として部下数人を抱える53歳。「人が亡くなる限り石屋はなくならない。」まさに石の上にも三年どころか石屋一筋に35年。自力で家も建て兄弟5人のまとめ役。弟たちもそれぞれ人を使うほどの成功ぶり。出された麦茶で「カンパーイ!」
働かない父親。勉学の環境ゼロ。そんな中で週三日だけの登校。後の三日はアルバイトで家族を助けた。「働き続けたら成功する」と信念を貫いた。母親似の早口で身の上を語る次男の顔は輝いていた。「神父さんが来ていると聞いたので是非会いたかった。」家族との思い出は尽きない。司祭の訪問が途絶え、結局、近くの神社の氏子に戻ったという。「神父さんたちのような人だったら戻ることもなかった」という言葉が重たく心に響いた。そして母親の冒頭のウラミの意味がようやく理解できた。
同行のシスターに再訪を依頼しながら次の訪問地屋久島に向かうべく港に急いだ。
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