余韻の中で
日本教会の行き詰まり加減はかなりのもの。数が増えないということもさることながら、後に続く若い人がいない。教会維持費の負担者は高齢者ほど多く、
働き手の30代、40代は極端に少ないという。日本の年金問題と同じで、支えあう気持ちはあっても子育て世代にとってゆとりはない。教会の高齢化に溜め息ばかりが出る。そんな閉塞感を打破するようなインパクトを与えたのが司祭大会の講師の話。
教義や権威といった当局側の立場を少し減らして、住みずらい現実の中でもがいている人々に愛を吹き込むことをもっと大事にすれば教会は発展するはずだとする視点に共感する。心と心のふれあいを求め、柔らかで、棘のない、暖かなものに包まれたいと切望し、そしてかけがえのない存在として認められたいと心底願いながら、競争社会の中で見通しの立たない現実を強いられている人々のことを深く心に留めておく必要がある。その視点のもとに信者たちの前に立ち、そうして信者たちも同じ視点で身近な人々のもとに派遣されていく。
毎年の自殺者は3万人、未遂者はその倍とか。自殺願望者になるとどれほどの数字になるっことか。そんな話を聞くと、確かに、ノンビリと聖書の勉強どころではなくなる。なんとなくあせりすら感じてしまう。とはいっても、あさっての日曜日は小教区でのミサ。注解書を引っ張り出し、マルコ福音書の重要性、神学などの項目にあたっているうちに、メッセージをまとめることもできないまま終礼の時間になった。そんな目の前の現実と格闘している自分を見るにつけ、教義や権威付けを弱めてなどということがかすんでしまう。そして、相変わらず権威や教義の壁を越えられないまま元の木阿弥、にはなりたくないのだが・・・。
久しぶりの室内ランで快汗。
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