信仰の絆
今日1月25日は回心のパウロの記念日。6月29日にも祝うが「ボクはもう少し回心が必要だから・・・」と今日に変更したのは20年前?それはともかくとして、
多くの皆さんから、教会からお祈りが一杯詰まったメッセージが届いた。まさに信仰の絆だ。かつて働いた教会から届いた色紙に記されているお祈りの項目と捧げられた回数を目で追うと信者たちの顔が目の前に笑顔一杯で広がった。そして、犠牲、の項目に思わず心が震えた。ボクのために犠牲!我がまま?病気?おやつ?宿題?病人のお世話?それとも毎日の家事?他のお祈りはホントありがたくて、嬉しくて、心からありがとう!だったが、犠牲、はさすがに申し訳なさが先立った。
ふと、ぼくにとって何が犠牲になるのかナヤンダ。ビールとチーズにはまったかつての自分の犠牲は明確だった。聖週間は口にしない。これは辛かったので、犠牲にふさわしかった、と思う。しかし、野菜食中心のこの7、8年チーズもめったに口にしなくなった今、それも苦にならなくなったので他に何があるか、と考えて一つだけあった。時間がなくて走れなかったときは悔しい。しかし、これはあっさり諦められるから、犠牲、というほどではない。
いずれにしろ、高レベルの克己、奮励というイメージの犠牲はボクに似合わない。それだけに、愛すべきあの教会の子供たちや皆さんの尊い犠牲の上にボクの毎日があることは間違いない。だから、心からありがとう。そうそう、愛の業、という項目もあった。これは楽しく創造が広がった。そして、犠牲よりも二倍以上の数になんだかホッとした。
そういえば、「私も85歳になりました」という旧知のシスターからは同時に二通の封書が。一方には、5千円、一方には3千円。消印が一日ずれている。前日すでに投函したことを忘れたに違いないのだ。昨年より筆跡もおぼつかなさが増している。ふと母が偲ばれてまたも心が震えた。そして、ホロッ!
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