信心は教会の宝
狭い道路の両脇に高く積み上げられた家財道具の山。わが故郷の惨状には胸が痛む。
自然災害で死者が出たという話は子供の頃から今に至るまで聞いたことがなかった。台風や水害での死者のニュースを聞くたびに「大和ッちゅ(人)」の弱さを嘆いたものだ。シマには大きな川がないからだということだったが今回の豪雨はそんなシマの強さを一夜にして砕いてしまった。ボクの心もブルー。昨日、友人から誘いを受けた久しぶりの会食も気乗りせず、一度は快諾したものの結局キャンセル。
ともあれマニラ巡礼で感動した信仰との出会いは読んでもらいたいと思う。そういうことで今日はマニラ続編。
キアポ教会聖堂正面上に安置された黒いイエス様は、1608年、アウグスチヌス会の司祭によってキシコからもたらされたもので、黒檀の木で彫られているので黒い。深いわけがあるのかと思ったのだが、真っ黒というのはどこか神秘的なインパクトがある。小教区所属の信徒は3万人ほどらしいが近隣から毎週金曜日には18万人もの巡礼者が来るという。がんが癒されたとかの奇跡の報告も数え切れない。しかし、ルルドの奇跡のような始まりの物語は聞くことができなかった。
ともあれ、二階に上がりイエス様の足に触ることができるからと案内されたが長蛇の列。案内の人が「司教様です」を声をかけると狭い階段に並んだ人々がいっせいに道を明けてくれた。申し訳なかったが好意に甘えた。カトリック国で「司教様」がいかに絶大か、ローマでも感じたことだ。主任司祭からいただいた主の顔がプリントされた赤いハンカチで真っ黒い足の裏を何度も拭いた。なんだか心が震えた。ある人は鳥肌が立つほどの感動だったという。
聖堂にあふれた信者たち、途切れることのない赦しの秘蹟を待つ人の列。鹿児島の人々の信仰の眼に焼きついた熱い信仰の姿がそこにはあった。こうした熱い信心の姿は鹿児島にはない。パパ様が最近出された「神学生への手紙」には大切にして欲しいこととして7項目を上げておられるがその4番目には「信心」を上げられ、「教会の大切な宝」だといっておられる。心に留めたいと思う。
人々の熱い信心の姿に写真を撮ることも忘れた。「巡礼による信仰の活性化。教区の大事な柱の一つ」は間違っていなかった!
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今日は、諸聖人の祭日。諸聖人の読書と重なりました。
「信心は教会の宝」。生ぬるい私の信仰をふるい起してくれる言葉です。
日々の信心を熱い心で行うことができるように努力していきたいと思います。
熱い信仰が与えられますようにと祈ります。
話は変わりますが、安納いもおいしそうですね。
励ましのブログいつも感謝しています。
日曜日でもなく、ミサが始まるのでもなくただ黒いイエス様にお祈りに来る人で大きな聖堂が人で一杯。あれだけの人の中に身を置くだけでずっとそこにいたくなるのはどうしてか。まさに雰囲気。ボクに言わせると雰囲気は雰息。聖書で息、霊は同じ言葉。だからあの教会の雰囲気は間違いなく聖霊の充満だと思いました。だから何時までもそこに座っていたかったのだと思います。鹿児島でもそんなうねりのような信心隆盛は夢?「先ずはロザリオから」と励んでいるつもりですが・・・。