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先生たちと

作成者 admin投稿日 2012年04月28日 21時08分 最終変更日時 2012年04月28日 21時08分
花園に包まれた祈りの家

カトリック学校の原点を求めて。初めて参加した校長・理事長・総長管区長の集い。会議と名のつくのが嫌い、という個人的な好みばかりにこだわるのも大人気ない。

そんな思いもあって、何よりも先般出版された「キリスト教理解のために」-カトリック教育にかかわる全ての人にーの解説が目的と聞けばじっとしておれなかった。鹿児島でも、純心短大や幼稚園での職員研修に本冊子が使用されていることもあったからだ。

神の名前と人間の名前の違いについての第一回目の講話は興味深かった。神の名前、”私はある”というヘンな名前が意味しているのは、神の中身と名前が一緒ということ。人間の名前はその人の中身と関係ない。「私は豊勝。将棋が好きだがいつも勝つわけではない。」ここで会場には笑い。しかし、神は、いつもある。石ころみたいにただあるのではない。相手のためにいる。名前の通りいつもある。だから、私を見たものは父を見た(ヨハネ14.9)とイエス様が言われるのはそういう意味。

作品と作者の話も面白かった。作品をいくら観察しても作者が分かるというわけではない。この世は神の作品だが、必ずしも作品がしるしとはなっていない。だから神はイザヤが言うように「まことにあなたはご自分を隠される神」(45.15)。だからモーセの登場が必要だった。神がご自分を表される救いの歴史が始まった。創世記1-11はその準備としての救いの歴史だが、いわゆる歴史ではない。講師の話は、学問的でありながら、平易なことばで地に足の着いた説得力のあるものだった。毎回参加する価値があると言ったら、委員長の司教さんが大変喜ばれた。

久しぶりのクリスト・ロア修道女会本部訪問。奄美や鹿児島での昔なじみのシスターとの歓談は時を忘れた。あけての今日は検索した地図に従って会場に向かったものの、地下鉄の乗継がうまくいかず小一時間で行くはずの会場まで2時間近くも費やした。

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