全能を制限する神とは・・・
P・ネメシェギ。郵便物の山から今日手にした雑誌の表紙に記された白抜きの名前に目が留まった。いつか、司祭の黙想会に来ていただいたことがあったので自然とページを開くことに。
「東日本大震災で思ったこと」と題した講演のようだった。かなりのご高齢ではないかと思うが、日本カトリック神学界の中心にいた方だけあって、洞察の深さについつい最後まで読んでしまった(福音と社会258号30-40頁)。
すべてを紹介できないが、二人の学者の紹介に興味を覚えた。一人は、「神はこの世を造ったときに、それが進化するように出発させ」たと説くドイツの神学者。これは、哲学生の頃だったか、神様は小さな種の中にもその後の成長と実りに必要な能力をすべて備えられた、という講義を思い出させた。
しかし、「この宇宙万物を創造し導くときに、神がその全能を『制限』しておられます」というもう一人の学者の引用には、なぜか思わず納得してしまった。そう考えると、神がいるなら今回の震災や突然の死別といった悲劇がどうして起こるのか、という素朴な疑問に直面したとき、話が進展しそうな感じがするからだ。
つまり、神は全能というけれども沈黙して何も助けてくれないと思えるときこそ、神の似姿として、神様から分けてもらった知性と人格を駆使して、いわゆる人間力を発揮するとき。一方、神様は全能を手控えてそのことを期待しておられるということではないのか。実際、今回の大震災で世界中の人々が被災地の人々の様子に感動したのは、日本人が神様の期待に見事に答えたということではなかったのか。
もっとも、これはネメシェギ神父さんが言いたかったことではなく自分が勝手に発展させたことだが・・・。ともあれ、誰かのせいにしたくなったり、想定外の出来事に巻き込まれたりしたとき、同じ視点に立つなら、神様からの声援が聞こえてきそう。ここまで書いて気がついた。「がんばれ東北!、がんばれ日本!」は全能を手控えて、人間力に期待しておられる神様からの声援に違いない、と。
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