助祭夫婦の集い
念願かない、今日までの3日間、鹿児島教区の終身助祭6名が初めてとなる集いを持った。二人だけだったが、奥さん同伴というのも嬉しかった。11:10のミサで終了。
初日、1時間半の講話に使ったのは、教皇庁教育省、聖職者省によって編纂された「終身助祭」。サブタイトルは-養成基本要綱・役務と生活のための指針-。前者は教育省により、後者は聖職者省によるもの。助祭が教会の中でどんな位置を占めているのかが明確に示され、その義務や勤めが法的にも明示されている。
5世紀ごろまでは助祭が活躍したが、何かのことで、その以後は助祭の働きはなくなったという。トレント公会議(1545-63)ではその必要性が謳われたが、実際に助祭職が執行されることはなかった。第二バチカン公会議(1962-65)で再興し今日に至っている。要するに、1600年ぶりとなる助祭制度の復活は、まだ十分に認知されているとは言えないが、日本のいくつかの教区にはすでに助祭が誕生して活躍している。鹿児島でも、間違いなく新しい風を吹かせつつある。鹿児島教区の助祭制度は、今後も、夫婦円満な現役世代をターゲットにして働きかけを強めたい。
もっとも、経済的な面で、司祭と同じような待遇は期待できないが、むしろ、実際の収入で生活の維持を願うことになる。これは、「終身助祭」の中でも触れられているが、たとえば、お隣の大分教区のように、司祭に代わって、幼稚園の園長として働く可能性は大いにある。
経済的な裏付けが大事だとはいえ、助祭が夫婦として宣教チームを作ることはさらに喫緊の課題だ。新しい福音宣教というときの、鹿児島教区独自のイメージが膨らむ。終身助祭の秘跡を受けることで婚姻の秘跡はより一層豊かになる。それは、宣教という教会の一義的使命を果たす上でも重要な戦力となるうえに、司教、司祭、助祭、信徒という教会本来の十全な姿が完成することになる。
今回の集いを通して、彼らが、神様の夢の実現のために働く同志として、これまで以上に、身近になり、新鮮な心強さを感じた。「次回の集いには、助祭に推薦したい夫婦を誘っては」という提案も嬉しかった。
聖書の庭にマリア様ご出現。これは次回詳しく。
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