友情は海を越えて
M9.0を想定できなかった地震国日本としては嘆かわしい。9.0をなぜ想定できなかったのかと思う。
統計的には安全という落とし穴。いつも例外はあるものだというのは常識なのに、人命にかかわる原発でそれが通用しなかったというのは「甘い!」としか言いようがない。いや、命がけで放射能被害を食い止めようと頑張っている人々を批判することはやめよう。いずれにしても、鹿児島は川内原発があるだけに人事ではない。2号機建設計画は凍結すべきだ。
身近なところではえびの地震というのがあった。川内で起こらないという保障はない。もっと謙虚になって、人間が作り出すエネルギーではなく、神様が下さった太陽のエネルギーに感謝しながらそれを生かす方法をこそ研究すべきではないのか。ともあれ、今回の大惨事が、日本の今と未来を託されている学者や政治家たちに問いかけている意味は大きい。
そんなことを思いながら新幹線に乗った。博多まで最速の1時間19分。あっという間だった。何よりも乗り換えなくていいというのは快適そのものだ。それにしてもガラガラに驚いた。津波が人の動きをも止めたのかもしれない。
11月開催の日韓司教交流会打ち合わせの韓国出張。韓国中央協議会に3時前着。5:00に顔合わせ会。それまでの2時間東大門(トンデモン)市場見学。かつての賑わいはなかったが神学生の頃見た東京のアメ横の風情が健在。豚の腸にご飯などをつめた韓国ソーセージ(本名を忘れた)は目の前で蒸しながら客に振舞う。早速ジンロ(甘い焼酎)と試食。血を混ぜているそうで赤黒い。見た目は悪いが癖のないうまみで、程よい辛味と口ざわりは酒のつまみにちょうどいい。トンンガラシ入りの荒塩を少しつけながら食べる。
会議前の挨拶は津波のこと。韓国の全教区で今度の日曜日から募金が始まるのだという。我がことのように心を痛めて祈っていることが分かって涙が出た。鹿児島でも早速始めなければ。ところで、今年の日韓司教交流会場は金沢。テーマを巡って有意義な分かち合いの結果、環境問題や原発を巡って、ということに。
9時半過ぎ帰館。
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Re:友情は海を越えて
統計的には安全という落とし穴。いつも例外はあるものだというのは常識なのに、人命にかかわる原発でそれが通用しなかったというのは「甘い!」としか言いようがない。
その例外をどこまで想定すればよいのか、具体的に分かるものでしょうか。特に原発に関しては、安全基準をかなり高いところに上げている。それでも防ぐことができなかった。何も分からない部外者が、高説をたれるべきではないでしょう。
太陽光発電は、天気によって発電量がころころ変わる。ほかの自然を利用した発電システムも、自然環境の変化によって発電量に大きな波がある。現時点では、CO2の排出を抑制でき、安定的に電力を供給できるのは原子力発電しかない。だからこそ、関係者は命を捨てる覚悟で作業に励んでおられるのです。
宗教者として発言されるのでしたら、しっかりと推敲されてからするべきでしょう。
Re:友情は海を越えて
ニューヨーク・タイムズでかつて東京特派員を務めたコラムニスト、ニコラス・クリストフ記者は、地震発生直後の3月11日付けで、1995年の阪神淡路大地震を取材して目撃した日本人の対応を引き合いに出して、こう書いた。見出しは、「Sympathy for Japan, and Admiration」(日本への同情、そして尊敬の念)。
「これから数日間、日本を見守ることで、私たちは何かを学ぶこと請け合いだ」
「地震が起こった後の日本政府や行政の対応は、後手に回るだけで話しにならない。だが、事を処するに当たって日本の一般市民が示した弾力性とストイシズム、規律正しさには驚くべきものがある。日本語に『Gaman』(我慢)という言葉がある。英語では同じ意味の言葉はないのだが、あえて言えば『Toughing it out』といった意味だろうか。日本の被災者は驚くべきGamanをもって、秩序を守っている。あの大地震の後、水や食糧を求める長い列に黙々と並ぶ。自分のことは傍らに置いて、他人を助ける。商店から商品を盗み出すなどといったことは論外だ」
「阪神淡路大地震の時に、日本でも商店から物を盗み出すものがいるか、について取材した。この最中、ものを盗まれたという商店主に出くわした。私が『こんな時にものを盗む日本人がいることをどう思うか?』と聞くと、その商店主は驚いたような顔して答えた。『誰が、日本人が盗んだ、と言ったかい。盗んだやつは外国人だよ』。」
「今ウィスコンシン州やワシントン州で起こっている激しい政治論争やデモとは対照的に、日本人は一致団結して、この国難に立ち向かうだろうと私は予見する。我々アメリカ人は深甚から日本の方々に同情申し上げる。それと同時に、まもなく我々が目撃するはずの日本人の弾力性と我慢強さに最大級の尊敬の念を送りたい」
クリストフ記者が先導役になったのか。第一報に続く米メディアの記事は、日本人の忍耐強さと規律正しい対応に集中した。
「地震・津波に最も備えてきた日本」という揺るがぬ評価
今回、さらに別の角度からも日本への称賛の声が出てきた。
「地震・津波対策には他のどの国よりも万全を期してきた日本ですら、このような悲惨な事態になった。これが他の国であったら惨事はこの程度ではすまなかっただろう」(CNNの人気アンカーマン、アンダーソン・クーパー記者)
技術大国・日本の技術をもってしても、今回のような地震・津波に立ち向かうことはできなかった、という認識だった。
3月15日現在(米西海岸夏時間)、東京電力福島第一原子力発電所での炉心溶融事故をめぐってメルトダウンの可能性が、米メディアでも最大の関心事になっている。
だが、今回の事故を「旧ソ連チェルノブイリ原発事故の再来」と危機感を煽っている一部欧州の報道に比べると、米メディアは極めて冷静沈着な報道に終始している。
日本の科学技術に対する絶大なる信頼があるためだろう。
3月14日付けのワシントン・ポストは、「If the Japanese can't build a safe reactor, who can?」(もし日本人が安全な原子炉を造れないのなら、いったい誰が造れるのか)という見出しで、日本への信頼感を表明している。筆者は、アナ・アップルバウム記者だ。
「日本の原発は、細心の注意と精度で造られている。さらに、世界で唯一の被爆国である日本は、能力においても、法制度においても、規制においても、他のどの国をも上回る完璧さを持っている。もし優れた能力と技術力を持つ日本人が、完璧なほどに安全な原子炉を造れないとしたら、いったい誰が造れるだろうか」
そして同記者は、こう付け加えて、筆を置いている。
「今回の事故が大事に至らないことを祈るのみだ。ここ数日、自らへの危険を省みず、核関連施設で大災害を防ごうと働いている技術者の方たちに敬意と尊敬の念を表わしたい。もしこの危機を回避することができる者がいるとすれば、それは日本人しかいない」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110316/219007/?P=1
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110316/219007/?P=2
以上追加します。
Re:友情は海を越えて
多くのコメント謙虚に読ませていただきました。風力や太陽エネルギーを国策として推進すればいいのにという思いがかねてあり、「ああ、やっぱり!」という思いがあのような文章になりました。「高説をたれた」とすれば不遜を赦してください。「安全」に対する疑問、それも科学的根拠があってでないことはもちろんですが、漠然と「ホントかな」という思いが現実になったたということに対する感想のつもりでした。ことばの多すぎと配慮が足りなかったことを不快に思われた皆さんにお詫びします。ただ、言い訳になりますが、旅先でも情報が少ない中で津波や原発のために一同毎日祈っていました。
Re:友情は海を越えて
正直、キリスト教徒と接して不快になることが多いです。これは私だけではなく、多くの人が感じています。だからといって貴方に「反省しろ!」などと申すつもりはありません。キリスト教徒の方々がお考えになれば良いことです。ぶしつけな書き込み失礼致しました。
Re:友情は海を越えて
Re:友情は海を越えて