喜びと悲しみと・・・
ジムを10分早く引き上げて9:00少し前川内純心へ。純心女子大学付属保育園開園祝賀会。
「祝詞をお願いしてあります。」「えっ、やっぱり!」ま、考えてみれば「おめでとう」だけで済むはずもないのだが・・・。幸い開式は10:30。あわててお御堂に駆け込んで気を静めた。真新しいことが思い浮かぶこともなく、いつかどこかで話したようなことしか出てこなかった。
イザヤ49章15-16節「女が自分の乳飲み子を忘れることがあろうか。母親が自分の生んだ子を憐れまないことがあろうか。たとえ女たちが忘れようとも、私があなたを忘れることは決してない。みよ、わたしはあなたを私の手のひらに刻む。」20数年前、フィリピンの避暑地バギオのお土産店で無造作に売られていた手の彫り物。手のひらに刻まれた幼子の安らかな姿に飛び上がるほどビックリしたものだ。聖書の言葉がそのまま彫り物になっている!しかもお土産店で売られている!さすがカトリックの国だ!地元の職人に頼んで何個も同じものを彫ってもらってお土産にしたものだ。写真がその原型。
「人は見ていなくても神さまは見ていらっしゃいます。」幼稚園で子供たちと唱和していたモットーの出典ともいえる箇所だ。これが出たら、ある若者の大学生時代の体験談と決まっている。”気楽な自転車での一人旅。道端の無人販売の果物に思わず心が動いた。まさに無人。思わず手が伸びたとき、幼稚園のときのあのモットーが脳裏をかすめた。さすがに手を引っ込めて立ち去った。”それを聞いた未信者の青年が「ガッテン!」とばかりに声を上げたものだ。”神を信じるというのは抑止力なんだね!”「日本の社会にはまさにこの抑止力がないのですっ!」
祝詞が突然講演調に変わった。自分でも可笑しかったが、「子供たちの心にいつまでも響き続ける力のある言葉を語ってください。」皆さんのような洗練された祝詞にはおど遠いものになった。それにしても、閉校式のときとは打って変わって、子供の森と進化した姿は希望に溢れ華やいでいた。マリア様の塔も以前のように正面に聳え、地域の人々を優しく見守る姿は癒しのシンボルとしての存在感を増しているようだった。
お通夜に参加。「母は自分で建てた家と共に去っていきました。後は自分たちでしなさいと言われているようです。」留守中の突然の火事の犠牲となった不幸にもかかわらず喪主の言葉には神の計らいの不思議さを静かに受け止めようとする信仰が伺えて心に沁みた。
1時間のランは快汗。
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