四旬節大詰め
3時のゆるしの秘跡に参加。「ロザリオと十字架の道行をしてください。」重刑、いや重過ぎる償い(注)に面食らったと同時に子供の頃が蘇った。
「お父さんお母さんの言う事を聞きませんでした。御ミサの時ふざけました。友達と喧嘩をしました。(ゆくりはっきりと)カキドロボウシマシタ。(早口で)」「ロザリオ一環!」「アリャ!」アメリカ人の司祭なので早口言葉にはついていけないだろうと思ったのが甘かった。数限り無い「めでたし」にため息をついたものだ。もっとも、得意の早口であっという間に終わったのだが。
それにしても、お酒を過ごしたぐらいでロザリオと道行とは!信徒で道行の人はいないようだったので聖職者には厳しかった?ともあれ、おかげで早口言葉ではなくてゆったりと小一時間をお御堂で過ごすことができたので四旬節の仕上げにはふさわしいクオリティータイムとなった。
4:00過ぎ、2ヶ月半?ぶりに墓地へ。道端の草たちもそれぞれの春を謳歌しているようだった。教会墓地跡に上がって驚いた。放置された墓石の横に白い立て札が設置されていたからだ。2年以内に連絡がないと無縁仏として改装する旨の告示だ。驚いたことに墓の体をなしていない山積みになった墓石の横にも。しかも、土手から転げ落ちそうになっている放置された墓石の横にまで!確かにちゃんとお墓らしく立っているものには必要に違いないが、常識的に見ても「放置物件」でしかないものを墓と認識する律儀さというか、融通が効かないというか。鹿児島の人がお墓を大事にするのは分かっているつもりだったが思わず笑ってしまった。ともあれ、「カトリック幽霊墓」が目をみはるような変身を遂げたことでついに行政も動き出したとするならよしとしよう。
もうひとつの大きな変化に気がついた。どうしたことかあれほどうるさく飛び回り傍若無人の墓地荒らしの常習犯だったカラスの軍団がすっかり姿を消していたのだ。以前だと、せっかくの献花が無残にも墓前に散乱しているのは珍しくなかったのに、今日はなんということだ。どのお墓もきちんと花瓶に収まっている。
白黒の玉砂利の間から顔をのぞかせている小さな草の芽を抜いた。隅の方には大きめの雑草を抜いた形跡があるので常に誰かが心にかけてくれているのが分かって嬉しい。「手入れの行き届いたカトリック墓地。」通りがかりの人も評価してくれているに違いない。
我が家の小さな墓にはなんと生き生きとした献花が。たぶんあの方に違いない。少しくたびれた白い菊の代わりに赤いなでしこと白の金魚草をさした。今日はかしましいカラスたちに代わってヒヨたちが、ピーヒョロでもなくピーチクパーチクでもなく、とにかくあの甲高い鳴き声で見送ってくれた。
(注)償い(つぐのい)とは司祭に罪を告白した後で果たすように課せられるお詫びと感謝と決意の祈り。
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