大戦に翻弄された山岳教会
「来年5月18日、私の修道生活25周年です。是非いらしてください。」北ルソンの中心バギオ市は標高1500mの高原都市。
1983年9月―84年3月の7ヶ月間、マニラで研修を受けたときのことだ。クリスマス前の一週間、山岳地帯の教会訪問が課された。マニラから特急バスで5時間、バギオの司教館で一泊して早朝5:00のバスで、まさに酷道を揺られること5時間。バスを降りて、1600mの尾根伝いの獣道のような地域の公道を歩くことやはり5時間。三つも四つもつり橋を渡った記憶があるが、美しい休火山の中腹に点在するパリーナの村に着いたのは夕方4:00頃だったか。
かつて、奄美でよく見かけた天上がむき出しのバラックのようなお御堂。戦前に立てられたもので、戦争末期、敗走日本兵が宿舎にし、去るときに床下に火を放って焼き払おうとしたが幸い焼失を免れたものだという。電気がまだなかった頃で、ビーチサンダルにジーパン姿の村長さんはじめ校長先生や教会代表の何名かが、手作りのバラック風司祭館に集まった。ランプを囲みながら、日本のことをまるで夢の国のことでも聞いているかのように目をパチクリ、感嘆しきり、興味津々。今思い出しても、思わずクスリとしてしまう。シスターからの思いがけない良い知らせに、28年前のパリーナの夜が蘇がえった。
あ、そうそう。その時のカテキスタが修道院に入る前の彼女だった、ということを言いたかったのだ。実は、目的の教会は3時間向こうの更に高い所にある教会だったので、翌朝早く日の上る前の暗いうちに起き、彼女が昨夜のランプをつけて1時間ほど峠までの道のりを案内してくれた。間もなく、西の空が白み始めたので、彼女はランプを消して引き返した。とても懐かしい。30年近くもなるのに、話したいことはまだまだあるが、今日はこれぐらいにしよう。
来年5月は是非行きたいと、すぐに返事を書いた。久しぶりにテーブルの上がスッキリした。今日は室内ラン7キロ。
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