大槌ベース(2)
保育園訪問の後小中学校を外から眺めることに。初めて見るプレハブ校舎には、当たり前だが、ちゃんと廊下もついていた。北国だけに暖房設備はあっても、冷房はなかったらしい。しかし、プレハブの悲しさで、夏には猛烈な熱さに子供たちが悲鳴を上げたので、今では冷房も完備され快適だという。
プレハブで思い出したが、仮設住宅では、問題が多いらしい。とくに、子持ちの家族には子供が走り回ったり泣いたりするのでお隣から苦情が多いらしい。中には、一般のアパートに転居する人もいるとか。しかし、行政からのサービスは仮設に限られるので、そうした家族はサービスの対象外になるという不条理も起こっているらしい。そんな行政の谷間を埋めるのもカリタスさんの任務。
話が少しそれたが、放課後のグランドでは小学生が元気にボールを蹴っていた。グランドといっても校庭として整備されているわけではないようで、雨上がりのせいでぬかるんでいた。で、子供たちの靴は泥んこ。気の毒だった。
4時過ぎ、犠牲者の追悼式典へ。記帳と献花を済まして宿舎に帰る頃にはとっぷりと暮れ7時を回っていた。一風呂浴びようとしているところに呼び出し。昼間、ドミニコ学園の生徒たちが膨らませた風船飛ばしがあるのだという。
なんとかNPO法人主催で、追悼の日恒例の行事だという。会場に着くと、パンチで穴をあけた厚めの紙片が渡され、係りの人の指示で「一言書くように」。「いつまでも側にいたいと思います」と書いた。青白く光る風船に紙片を結び、促されるままに手放した。あっという間に暗い夜空に消えていった。「あ、追悼の言葉だから、『永遠の安息を祈ります』にすべきだった」と悔やんだが後の祭り。あまりにもあっけなくて、少しがっかりしながら帰路についた。
すると、50mほど離れた本部席から、「これから一斉に風船を飛ばしま~す!」「エーマター!」アナウンスに振り向くと、おびただしい数の風船が夜空に舞い上がるところだった。美しかったが青白い光がやはり物悲しかった。ともあれ、本部と現場のかい離はここでも。
こうした、風船を膨らます仕事や菜の花の種をまくことなどボランティアの仕事は尽きることがないという。スタッフの手も足りないという。スタッフと言えば、ちゃんとした給料もあって、一種の「就職先と考えてもいい」ということだった。鹿児島からも送りたいのだが…。
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