暴走巡礼
14日、午前6時50分、数年ぶりの車での遠出。4人の神学生志願者と通訳の後援会長フィリポさんの一行6名。
第一の目的地福岡まで3時間半。当初5時間をメドに走り出したが、走るにつれ昔の悪い癖が出た。お陰で韓国人神学生に興味を持たれた司教さんとの面談にも十分時間が取れた。予定外の神学校訪問も実現。フィリポさんは4人の将来の学舎を自分の目で見ることができたと大感激。
お昼の後、9名の顧問司祭とも短い面談。特別の質問もなく十数分で放免。車中での感想は模範解答。しかしフィリポさんにはしっかり本音が語られたという。「英語に自信がない。日本語の小論文どうしよう・・・」さすがの後援会長も慰めのすべを見出せない。「ま、司教がナントカお願いしますと頭を下げればナントカ・・・」とは言うもののそういうボクにも確信はない。「とにかく日本語2級」結局は落ち着くべきところに落ち着いたのだが・・・。
浦上教会での5:00のミサの約束に5分遅刻。係りの方が準備して待っておられた。翌15日はいよいよ西坂殉教の丘への徒歩巡礼。道々ロザリオ。26聖人たちが一休みしたという被爆した巨大くすの木のもとで休みながら一連。外人墓地の一角に眠る永井博士の墓を案内すると5人の長い祈りが始まった。「すっかり長居をしてしまって・・・」「いいんですいいんです、うちはナガイといいますから・・・」長崎の鐘での博士のユーモラスな返事が思い出されておかしかった。永井隆の大ファンの一人アントニオはみんなが出てきてもまだ祈っていた。「涙を流して感動した」らしい。フィリポさんが「彼は静かにひとりで黙々と努力する・・・」と評価しただけあって、確かに地味だが何かを感じさせるものがある。
9時少し前に到着。一時間ほど歩いたことになる。9:30、お隣のイエズス会修道院聖堂でミサ。ミサ後26聖人のうち3名のイエズス会司祭の足の骨を見せてもらった。5名はいたく感動。ガラスケースに手を触れたり、ドミンゴにいたっては思わず床に両手をついて熱烈崇敬。そっけないボクとこうも違う反応に驚いた。
大浦天主堂での信徒発見秘話にも興味を示していた。「サンタマリアの御像はどこ?」との質問だけが紹介されていたが、浦上村の婦人達は他にもいくつかの質問をしたと聞いたように記憶しているのだが・・・。1865年といえば明治維新3年前。浦上四番崩れが2年後の1867年。鹿児島にも多くの人々が流された。外圧によりキリシタン禁制の廃止は1873年。韓国にも迫害の時代があったが長崎が一段と身近になったに違いない。お土産にも興味がないらしく、お御堂での聖体訪問の後は長崎名物皿うどんにまっしぐら。
コルベ神父様は韓国でも有名。ルルドに上って水を汲みそれぞれの賛歌を捧げた。雲仙地獄到着3:00過ぎ。「地獄に投げ込まれ、ある者は熱湯をかけられ・・・」「アイゴー!」殉教地獄上の丘に立つ十字架のもとではまたも熱烈な祈りが捧げられた。「一度行きたかった長崎にも雲仙にも!カンシャカンシャ!」帰りの車中では感謝の合唱。
勢いづいたところで熊本にフェリーで渡り熊本城見学まで実現してしまった。「お腹がすいていない」という声に押されてひたすら走り9:30帰着。結局夕食なし、シャワーなし、しかし、例のたまご酒一杯で就寝となった。今日は5時半最後のミサと晩餐会。おっと、もう5時。今日はシャワーをしないと。
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