木村神父さん逝く
22日意外ととスムーズに羽田までたどり着いた。鹿児島行き9:40に変更して早めの帰鹿。感謝のミサを済まし、食堂に上がるとみんなすました後だった。まだ暖かみの残るみそ汁付きのお昼をすましてシャワー。
山のように溜まった郵便物を整理しているうちに日も陰ってきたので大学病院へ。面会前にシスターの姉上からこの数日の様子をうかがう。本人も「その時」を感じているらしい。片方の肺は真っ白。心臓機能は20%。なるほど苦しそうにあえぐ姿は正視に耐えなかった。
お祈りをし、病者の油を塗り、しばらくしたら息づかいが穏やかになった。そしてわりとしっかりした口調で「牛乳」。二口ほどゴクリ。引き続き祈る約束をし、「人々のためにイエスさまと救いの十字架を担いで欲しい」旨耳元で告げ、15分ほどで退室。「明日にはお腹のあたりにも病者の油を沢山塗ろう」と思ったのだが叶わなかった。昨夜11:49御父のもとへ。
1年半の入院。最後まで司祭の心を失うことなく細かな気遣いを忘れなかったと聞いた。ベッドの上でも司祭職を全うした木村神父さんのことを、最初に声をかけた主も誇りに思い拍手を送って下さっているに違いない。そして本人は同じ主から新しいミッションを頂いて腕まくりしているに違いない。ともあれ、「木村神父さんみんなのため有り難う。ご苦労様でした。」病院のスタッフの皆さんにも深謝。
仮通夜・本通夜各午後7:00。葬儀ミサ金曜日午前10:00。香典は頂かないのが教区の決まり。
今日当りから、WYDの総集編みたいなことを書きたいと思っていたのだが、不安が現実となった今どうしたものか。とりあえず、21日一杯かけてなされた無原罪の聖母小教区(クエカーズヒル)での振り返りの写真二点と少しのコメント。振り返りのあとは屋外でピクニック気分の昼。何よりも、フィリピン人共同体が用意してくれた昼食にはチャーハンもあって、サンドイッチだけのお昼に二週間も付き合っていたボクにはたまらなく美味しかった。ミサの後は小教区に対する感謝の言葉、主任司祭からの返礼。そして現地の人も巻き込んだ炭坑節が披露され、聖堂内はまるでフェスティバル会場。思いがけない交流もあちこちで見られ、巡礼の最後を締めくくるのにふさわしい一日となった。
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