未踏の地へ
雪の南国から雪ナシの群馬県へ。恒例の司教研修初参加は始まるまでが波乱含み。
大雪の影響は空港バスにも。いつもは50分ほどで行くのに高速道通行止めで「1時間半から2時間かかりますがいいですか?」12:10発にゆとりをもって10:00にしたのに。2時間だとして12:00着。「10号線が込んでいますので・・・」が不安を増幅させた。ハラハラしながら「1時間半」にかけることに。結果は25分前到着でホッ!
オレンジュースで喉を潤し出発ゲートに目をやった。10分前だというのにそれらしい気配がない。「定刻に出ますか?」「申し訳ありません。1時間ほど遅れます。」羽田の管制塔のトラブルだという。あわてて東京に緊急電話。そして合流することなく単独で現地入りすることに。投宿先のホテルにも電話。館林(たてばやし)までの電車を教えてもらった。未踏の地だ。そのせいか遠いこと遠いこと!羽田を出たのが3:00前だから2時間近くかかったことになる。7時間もの長旅。
まもなく到着したバス組と合流して早速近くの教会で一回目の講話。テーマは100年前の公害問題に命を賭けた「田中正造」。有名な足尾銅山の鉱毒に揺れた当時が浮き彫りにされた。講師の話だと「公害の原点は水俣病の水俣ということになっているが、公害の原点はここ館林で水俣は公害の頂点。」85歳になるという元社会科の高校教師は鉱毒により原野と化した広大な村の跡地を案内される姿に老いを感じない。
田中正造という人は連なる山々のように政治家であり、社会問題に環境問題といくつもの峰を持つ。渡良瀬川流域の人々を犠牲にしながら世界有数の銅生産地にした当時の殖産興業という国策に公然と抗議した預言者が最後のよりどころとしたのが憲法と聖書だったという。「辛酸亦入佳境」(しんさんまたかきょうにいる)苦しみもそのうち幸せに変わる。「辛いという字がある なんとか幸になれそうなかんじがする」(正確ではないかも)という富広さんの詩がこれに近いのではとの説明が印象的だった。
「百年に一度の水害のためにダムを造るのではなく田中正造が言うように『水の心に従った治水』が必要」だとも。初めての地で初めての出会いと初めて聞く100年前の公害問題。新鮮というだけでなくあの時代に権力にも屈することなく人権や命のために立ち上がった人がいたことに驚いた。そして、無学な農民たちが彼の主張を理解したことも。もっとも、真の理解者は側近の一人だけだったとの思いを彼は持ったらしいのだが。明日の鉱山跡での学習をキャンセルして一足先に帰路についた。
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