祝・純短50周年
(挨拶をそのまま。一部省略)開学50周年おめでとうございます。
(略)
「全世界に行って全ての造られたものに福音をのべ伝えなさい」(マルコ16.15)という主イエスのご命令で派遣された12名の弟子たちによって始められたいわゆる宣教活動が鹿児島にも及んだのはあれから1549年後のことでした。それは日本の精神文化の新しい始まりとなりました。そして、その聖フランシスコから411年目に誕生した純心学園はこの鹿児島の教育界に、そして社会に新しい風を吹き込むこととなりました。
12名を派遣された主イエスが説かれた愛の教えは小さな身内の愛を超えて誰もが神の子らであるという大きな視点にたった全く新しいものでした。誰もが愛される価値がある。あの素朴な貧しい北イスラエルの人々にとってそれは発見にも近い驚きでした。そんな驚きが新しい風となって人々を包み、包まれた人々が新たな愛の息吹を送り合い、こうして伝播を繰り返し、ついに東洋の果までも到達して私たち鹿児島の人々をも包むことになったのでした。さらにその風は学園の創立者シスター江角をも捕らえ、そして彼女からの新しい風の中でこの学園が誕生したことを忘れてはなりません。
別の言い方をしますと、50周年のお祝いを行事として終わらせてはならないということです。こうした歴史の流れの中の一つの節目として明確に位置づけられる必要があります。つまり、これからの50年に向かってこの学園が新しい風となって若い皆さんはもちろん、ここで働く全ての人々を先ず福音の新しい風で包み、この学園が愛と希望のしるしとなって癒しの場となることが求められているのです。これこそが、カトリック学校の建学の精神だからです。
(略)
福音宣教の目的は、主イエスが十字架上で命をかけて示された己を無とする愛の文明を広めることです。そんな神さまの夢を一義的に託されたのは私たち司祭や修道者であることを肝に銘じたいと思います。そうは言ってもこの学園を実際に支えているのは教職員の皆様です。どうぞ、日夜学園のために懸命に働いておられる皆さんを大切にしてください。学園当局が建学の精神の元一つになるときここで学ぶ生徒や学生の皆さんも一度きりの青春の日々を生涯の中で最も美しい充実した時にすることができるに違いありません。そうして、今度は、若い皆さんが、無為に時を過ごしている同世代の若者や、悩む人、希望がもてないでいる人々に学園からの新しい風を運ぶ担い手となって行くことでしょう。こうして、学園に関わるみんなが神様の夢の実現のために笑顔一杯で生き生きと働く姿は想像するだけでも心が躍ります。
私は、ミサの終わりに参列した皆さんを「行きましょう主の平和のうちに」と言って派遣しましたが、ここにおられる全ての皆様を愛の文明の使者として神様の夢の実現のために派遣したいと思います。皆様の前途に神様の祝福がいつもあるようお祈りしながら祝詞を終わります。ありがとうございました。
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