蘇る大棚教会
過疎化の宿命は高齢化。そんな寂しいイメージを払拭してくれた昨日の小宿小教区・大棚教会。1960年代、集団洗礼で賑わい、修道者も送り出した聖地大棚。聖霊降臨の昨日、かつてのそんな姿が蘇った。
午後二時。各教会の代表者たちが続々とやってきた。故郷を離れた人々も駆けつけ、120脚用意したイスでは足りず、立ったままの人も。朽ちた鐘楼から移設された鐘の音が数十年ぶりに大棚集落に響いた。「隠れ信者」と信者たちが呼ぶ、かつての信者たちの耳にも懐かしく響いたに違いない。ミサにこそ参加しなかったが、多くの人がお祝儀を届けてくれたという。これから、毎週耳にする教会の鐘の音。やがて心の扉を開く彼らの聖霊降臨の日が楽しみだ。
新装なった聖堂を聖水で聖別し、聖体も安置された。ミサ後、司祭団と大棚教会信者の記念撮影。40数年前にもこんな光景があったに違いない。そして、公民館に場所を移しての祝賀会。これも又、あの教会黎明期の当時、きっと、今日と同じ晴れがましさと高揚した気持ちでわき返ったに違いない。何と子供がサンシン片手に聖歌を歌い、大人も負けじと揃いのハッピで踊らにゃソンソン。
しかし、時の流れと共に、潮が引くように教会から人が消えて数十年。そんな寂しさに終止符を打ったのは、霊感に満ちたパウロのような熱心党の若きヒーローだった。35歳の若いニカラグア人司祭。司祭歴わずかに五年。強者揃いの小宿小教区をまとめ、教会再興に向けてまっしぐら。熱きラテンの血が宣教師魂に火をつけ人々を燃やした。そして、大きな一歩を確実にした。叙階五年。当時の自分が蘇り、いつの間にか彼と比較。ひけめのような、妬ましいような・・・。
明けての今日。知名瀬教会で6:30にミサ。空港までの運転は神学生のサルバドール君。ナポリ出身。海沿いの道に出るや、珊瑚礁に砕ける数メートルの波しぶきに息を飲み、「スッゲー!」若禿のせいで司祭歴数十年の貫禄を見せる彼が突然若者の素顔に戻った。何だか可笑しかった。
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- 司祭聖化のための祈願日
郡山半次郎さんをご存知ですか?
先日の SIGNIS の集まりでは、大変お世話になりました。
ところで、「舌もじり」の郡山半次郎さんというかたは、司教さんのご親戚ですか?
薩摩出身で、名前も似ているので、もしやご兄弟ではないかと推測したりしています。
違っていたら、失礼!
この方もなかなかおもしろいかたです。わたしのブログの方で紹介しておきました。
わたしのブログからトラックバックしたのですが、うまくいかなかったのでコメントにしました。
Re:蘇る大棚教会
折角のお問い合わせですが、私の知らない方です。
鹿児島には郡山姓は珍しくありません。
どういう方なんですか?