遥かなるパルマ
イタリア北部の町でザベリオ宣教会本部のある町。それだけの知識しかないパルマは古都だった。それも、バスから降りて15分ほど、カテドラルまでの通りを歩いての感想だ
「あれは洗礼のための建物です。」高さにして5階ほどはあるかと思われる7,8角形の円筒状。直系10数メートル?中央には大きな水盤。中央の司祭席を幅1mほどの水の張られた水盤が囲む。ちょうどそうめん流しの台のよう。司祭は梯子で上がり、水盤をまたいで中央に立つ。受洗者は白い衣を身に着けて水盤に降り立ち、頭から水を注がれて洗礼式が執り行われる。水盤はかなり深いので幼児用には別のものが用意されている。現在も使用されているのだという。12世紀に建てられた。
ところで、カテドラルは壮大な外観の装いに違わず、内陣に向かう10数段の赤いじゅうたん張りの階段は、かなり上り応えがあった。したがって、内陣に座ると会衆席はかなり下のほうに見下ろされる形となる。教会全盛期の霊性では、民の席と聖所としての内陣は峻別され、後者はまさに神の世界。民を睥睨する怖いイメージの神。そんな古典的霊性を彷彿とさせるには十分な高さの内陣だった。
ミサ後、生前宣教師たちにお世話になった2人の御婦人と共に、神学生の案内で、歴代のザベリオ宣教会師たちが眠る公共墓地へ。始めてみるイタリアの墓地は、写真で見るアメリカのアーリントン墓地のように、青い芝生に横たわる簡素なものではなく、まるで小さな町並み。日本の霊園でも時々豪華なものを見ることがあるがその比ではない。三人でお祈りを捧げ、帰り道、聖コンフォルティ司教さまの先祖のお墓にも。由緒のありそうな立派なものだった。
念願のお礼参りの墓参を済ませて、パーテー会場に着いたときはすでに会食が始まっていた。
3:00過ぎ、みんなよりも一足早く、かつての同僚司祭の案内で空港へ。26日午後7:00過ぎにパルマを発って成田に着いたのは27日午後9:00。7時間の時差だというが、一体何時間飛行機乗ったものやら。遥かなるパルマ、の感、大。
駅の上に立つ従兄弟のマンションで2泊し、29-30日と二つの用事を済まして昨夜9:00帰館。こうして、ついに、WYD以来のあわただしい日程にピリオドが打たれた。明日から11月!
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