開発途上
三日夜は会費制の歓迎会。訪問の回数を重ねるたびに混沌とした人の集団が次第に輪郭を整え、夫婦の組み合わせから家族構成にいたるまで徐々に、独自の顔を持った一人一人の集まりとなり、やがて名前で呼び合う身近な存在へと実在感を増していく。
それにしても、今回の訪問ほど、島の人々がいかに篤いもてなしの文化を生きているかを実感したことはなかった。二日の昼下がり、空港で待ち受けていたのはまるで著名なアスリートでも迎えるようなプロの手になる立派過ぎる歓迎の横断幕と多くの歓迎陣。主任司祭一人だけが念頭にあった僕は仰天した。あせった。気恥ずかしくてドギマギ。挨拶もそこそこに逃げるように出口に向かった。主任司祭があわてて後を追ったほどだ。しばらくして歓迎陣も気が抜けたような面持ちで後から出てきた。気が抜けたといえば、ミサの直前、信者の一人に声をかけたら、「空港でお会いしました。」「あ、あの時は失礼しました。」「なんだか物足りなかったとみんなが言ってました」だって!やっぱり!
そういえば、いつかの来島の時も同じようなことがあったように思う。すっかり記憶になかったので心の用意ができなかったのだ。そういう言い訳がましいことはともかくとして、「司教が訪問すると聞いて信者はどんな気持ちになると思うか」一信徒になったつもりで考えてみることにした。その結果、驚きや戸惑いや喜びがない交ぜになりながらも「信者にとって司教の訪問は、僕が考えているよりもずっと大きな出来事らしい」という結論に至った。当たり前だと言われればそれまでだがそのことが実感できないでいる。しかし、この小さな作業で信者の立場に身をおいてその気持ちに気づくことができたことは大きな収穫だった。
そして、地方に住む人々の気持ちが天与のもてなしの心には違いないとしても、それは同時に司教の訪問を素直に喜び、できるだけ最大の歓迎をしたいという霊的子らとしての姿といえるかもしれない。そのことに思い至ったとき、空港まで足を運んだ高齢の信者たちがとてもいとおしく思われた。そして「逃げた」自分の未熟さを恥じた。そうだとすれば、ここは一つ、もてなされ上手になる必要がありそうだ。好意を素直に受けるのが苦手な僕の未開発の部分があらわにされたわけで、単に人間的なレベルでの話ではなく、牧者として、霊的父親としての普遍心こそが問われていると言わなければなるまい。あるいは、何もそんなに深刻になる必要はなく、ただ単に自覚が足りないだけなのかもしれないが・・・。開発途上の自分。自分への道のりも通し、だナ。
新幹線に乗り継いだリレーツバメ。4:00過ぎという時間帯のせい?それとも疲れ?本に目を通すとすぐにコックリ。そこへ、ワゴンサービスが通りかかった。チクワとお酒ください。はい、650円です。わかうめとか見慣れぬ銘柄。ムシャムシャ、チビチビ約二十分。なんとなく活力が戻った。眠気も消えた。疲れのせいではなく、たんに飲みたかっただけ?マッタク!
鳥栖での待ち合わせ約三十分。目の前にはサガン鳥栖のホームスタジアム。11月9日ザスパ草津との対戦の案内。J1入りを果たせるといいのだが。かもめ37号の自由席は幸い空席を確保できたもののほぼ満員。リレーツバメより揺れが激しい感じだ。長崎着は18時53分。あと一時間。4日車中にて。
5日の今日帰ってみるとオバマ勝利の報道。やはり。変革の始まり。みんな変わることを望んでいる。ボク自身も。教会も。
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