ミニ大巡礼
大人にはミニでも5歳のシオン君には大巡礼。
3日、午前7:00母間教会出発。十字架を押したて、一行七名の巡礼団。5歳の幼稚園児シオン君もお父さんと一緒に参加。雨が降ったり止んだりのあいにくの天気に合羽を着たり脱いだりと翻弄されながらの徒歩巡礼。
収穫間近の豊かに成長したサトウキビ畑が延々と続く。ほかの作物はまったく見当たらない。サトウキビ王国を実感。年間収穫量は三町で約17万トン。昨年同様今年も台風被害がなく、昨年に勝る豊作の予想とか。そのサトウキビ畑を背に立つ徳之島ならではの看板に思わず足を止めた。夕方になると何頭もの巨大な牛たちがウォーキングにいそしむらしい。いつか、その様子がテレビでも放映されていたように思う。時間が早いので牛たちには遭遇しなかったが、巨大なナメクジがいたり、藪には紫色の朝顔の原種かと思われるような愛らしい花が満開だったりと変化に富んでいて飽きない。
半ば過ぎた頃、轟(とどろき)教会の白い十字架がサトウキビ畑の右手奥に小さく見えた。島を横断するこの道路ができる30年ほども前?司祭大会の折?この教会下の道路を通ったことがあるが、なぜか教会の中には入った記憶はない。
さすがの健脚シオン君が根を上げてスピードダウン。それでも父親に手を引かれて長い上り坂にけなげに挑戦。峠を越え、少し下ったところで反対方向から主任司祭がやってきた。峠で引き返すのだという。シオン君が追いつくのを待ってロザリオ開始。ダンプの轟音に祈りの声がかき消されることもあったが、声をそろえて祈りに専念できたのはよかった。
ロザリオが終わり進路を右に変えたとたん、そのすぐ向こうに真新しい教会が視界に飛び込んできた。丁度9時半。二時間半の徒歩巡礼が終わった。ミサに向かう名越さん親子も合流して記念撮影。それにしてもシオン君の完歩を称えたい。
教会入り口右の畑でドラゴンフルーツの世話をしている老夫婦と話した。昨年だか植えたこと、もう花を咲かせ実をつけるだという。そして、出荷用ではなく子や孫たちに送るのだという。「僕も鉢で育てています。なかなか花が咲かないんです」そのうちできますよと慰めてくれた。「ところで今日は何かあるんですか?」「はい。これからミサがあります。」「ああ、今日は文化の日だからですね。」「あ、はい」無責任な答えだとは思ったのだが・・・。
10時のそのミサには牧師さんと二人の信徒の方も同席。合同市民クリスマスで親交を深めているということだった。説教は気合が入った割には首尾一貫しているようないないような・・・。まとまりのつかないものになってしまった。
ミサ後は外でのゲームも計画されていたそうだが雨で中止。しかも、シドニーのスライドショーも機材不備で中止。口頭での報告となった。重久君の体験談はやはり好評。教会への関わりを深め自分にできるところで一生懸命やっていきたいとの抱負に感銘を覚えた。父上も誇らしそうだった。
聖堂建設の費用返済の期限は13年。しかし、数年前倒しで完済できそうだとの報告あり。畑を借り上げてジャガイモと小芋の植え付けから収穫までを信徒の手でやってのけた結果、高収益を上げたのだという。「弁当持参での植え付け収穫は楽しい!一致も深まった!」誇らしそうな弁が嬉しかった。「所有者・カトリック鹿児島司教区」という登記証書の授与式も。
相撲取りの一之矢関が熱心な信者だったとは!帰郷のたびにミサに顔を出すのだという。母上もおられて、明るい方だった。訪問のたびに顔と名前が一致していくのは嬉しい。そうそう、昨日と今日、鹿児島ではおはら祭り。昨夜も雨だったとか。「カトリック踊り連」はどうだったのか気になるところだが・・・。
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Re:ミニ大巡礼
聖パウロはもちろんのこと、神様も、マリア様もとても喜ばれたことでしょう。
鹿児島教区のパウロ年巡礼のスタートを切ったんですね。おめでとうございます。私も、近くでの、巡礼はぜひ参加したいと思っています。楽しみにしています。わくわくしています。今日、カトリック鹿児島司教区のホームページで、祈りの巡礼を読みました。これも、参加したいと思います。そして、この喜びを、周りの方たちとも、分かち合いながら過ごせたらと思います。何よりも、パウロのとりなしを祈り、パウロの生き方を学びたいと思っています。