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☆神に仕える身でありながら、カミガミ(紙々)の要らない世界を標榜する人間の一人として、電子メディアに自分の思いを綴ることは大きな喜びです☆本を書かない代わりにここでいろんなことを書いてみたい。
 

Re:のんびり・サンデー

投稿者 あんとに庵 投稿日時: 2007年01月06日 00時04分
ま・ここっとさんに紹介されたブログ主です(^^;いやぁ。
鹿児島教区民でありながらして、南関東地区のフランシスコ会第三会員です。宜しくお願いいたします。

本田神父様の言葉を切り取って聞いたならば確かにドン引きする話です。とはいえ神学世界にはさまざまな解釈もあり、その一つに過ぎないものでもあるし、まぁ本田神父様はえてして爆弾投げるのがお好きな方なので。。。。怒る人がいるのも当然でしょうね。

カトリックが揺籃してきた神学的世界はペリカン師がいう「伝統」(つまり「伝統主義」ではない)数多の先人達が伝えてきた美しき伝承によって構築されてきたもので、そうそう揺らぐものでもないし、本田神父の一種破壊的にも思える逆説的な言論すら、それに飲み込まれていくでしょうね。

「小さくされた」というのは解放の神学の流れでは社会的弱者に当てられ、それはある種の階級的な構造をあぶりだすものですが、階級的思考は「敵」と看做すものを生じせしめやすいので、まぁ皆様がそれは危険だと思うのも無理はないし、また人の固有性を考えるとき、皆様がおっしゃられる通り、はたして「弱者」を弱者としていいのか?という疑問が生じるのも無理はない。マイノリティの固有の文化を「小さい」と評するのは確かに彼らの固有性を「小さい」と低めた視点で看做すことになりかねないですね・・・しかしミノーリス(小さき)という言葉に込められるのは、自らに問うべきものであるというのはま・ここっとさんの仰る通りではあると思いますし、また、ここでは「ミノーリス」という言葉に込められたフランシスコ会の伝承を見ていかないといけない場面ではあるでしょう。「伝承」が告げるものをはしょってしまって結論を出すのも早計かもとは思っております。

(まぁ、自由主義神学も過ぎると過激だからなぁ・・・。とはいえそれを超えた「信」こそ問われてくる部分でもありますね。それはブルトマンはじめ非神話化していく神学の流れの中でも重要な要点になっていくと思いますけど。結局「信」に回帰していくといいますか)
親エントリ のんびり・サンデー
 

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