レグレグ山
1984年4月。マニラでの研修を終えて、再度山に来た。パリーナの村のシンボル死火山のレグレグ山。立っている青年は当時二十歳の神学生アルビン君。まもなく退学した。谷の向こうの峰を越えて片道5時間の道のりをミサに行ったこともある。人々は貧しいが、本当のフィリピン人の心を持った人々と言われていた。遠くから見る山は、まるで富士山のように雲を抱いて秀麗。
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レグレグ山1984年4月。マニラでの研修を終えて、再度山に来た。パリーナの村のシンボル死火山のレグレグ山。立っている青年は当時二十歳の神学生アルビン君。まもなく退学した。谷の向こうの峰を越えて片道5時間の道のりをミサに行ったこともある。人々は貧しいが、本当のフィリピン人の心を持った人々と言われていた。遠くから見る山は、まるで富士山のように雲を抱いて秀麗。 フルサイズ画像を見るためにクリック — サイズ: 20.0 kB |