花嫁

教皇の講話集2が早くも出版された。去る4月17日(木)、聖香油のミサでのフランシスコ教皇の説教(今朝のミサ後の読書)をまず引用してみたい。

「司祭の喜びは忠実さを姉妹とする喜びです。(中略)唯一の花嫁、教会に常に新たに真心を尽くすという意味です。そこに、忠実さについての秘訣があります。主がそれぞれの司祭にお与えになる霊的な子供たち、つまり司祭が洗礼を授ける子供、祝福を与える家族、励ましを与える病者、教理を教え成長を見守る青年たち、手を差し伸べる貧しい人々、こうしたすべてが花嫁です。司祭は、花嫁である彼らとかかわる喜びを最上のものとし、彼らを唯一愛する者とし、常に新たに忠実を尽くします」(講話集2 109-110頁)。

実は、30数年関わっているME(エムイー)では、夫婦の関わりについての問いかけがなされるが、「司祭にとっての配偶者は教会や所属する共同体の身近な人々、ということで答えてください」とのシドウが入る。

注目したのは、教皇が、司祭にとってのこうした身近な人々を花嫁と呼ばれたことだ。MEの最中なら分かるが、共同司式している枢機卿や司祭たちに対して“あなたがたの花嫁”と明言されたことで驚いたワケ。教皇がイエズス会員であるところから、もしかしてME体験者?との思いを巡らした。

MEの現役従事者とはいっても、普段の生活で、「身近な人々とのかかわりを大切にする」という意識はあるとしても、「花嫁としての仲間の司祭たち、花嫁としての身近な人々」という明確な意識を持ったことはない。「あれはMEの時だけ使う特殊用語」との“思い込み”だったと気付かされた。

それにしても、「司祭は、花嫁である彼らとかかわる喜びを最上のものとし、彼らを唯一愛する者とし、常に新たに忠実を尽くします」は、最後のダメ押しとも感じられて両肩にグッと来た。ヤレヤレ…。

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