具体的な教会名は控えるが…
ミサ前のロザリオの祈りを妨げないようにそっと戸を開けて中に入った。すぐに目に入ったのが、高く掲げられた聖歌表示板。「お、今日は入祭唱に新しい番号が入っている!」答唱詩編は当然だが閉祭の歌も別のものがちゃんと入っていた。「知らないので入祭のうたはなし」でもなく、「閉祭と同じものを」という安易なグッドアイデアを採用するでもなく。「スマホに頼らなくてもできる」ではないか。栄えある歴史的教会のプライドが生きた。
しかし、一筋縄でいかないのも歴史の重み
「音痴だから」と言いながらも遠慮などしないところがすごい。音に自信のある司祭なら、ミサ後に指導が入るところだと思うが、そんな勇気はない。せめて、「ボクは正調で行きます」とばかりに声を張り上げての奉仕となったものの効果はゼロ。むしろ、引きずられまいと必死に頑張っているのだからどうしようもない。
マ、マいいではないか
そんな頑張るボクに天の御父は目を細めながらウットリ、とは思えないが、相好を崩しながら「ま、まいいではいか」とたしなめておられるに違いない。だから、今後は、スマホに頼るのでもなく、彼女たちの選曲と熱唱に寄り添うべく頑張る力を抑えながら歌うことにしよう。帰路に就く車中での思い。早すぎる?諦め?共に歩む…シノドス…、司牧…。当分ついて回りそうな奄美宣教の始まり。でも楽しい。
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