フランシスコ教皇のこと1

木槌手も精いっぱい生きて実を結ぶ。 それでも!Blog

ローマンカラーの青年が言教皇。「さっきの人たちシスター?」「いいえ、でもいい人たちよ。」ブエノスアイレスの町を祖母ローザに手を引かれて歩いているときに見かけた数名の救世軍の婦人たちについての少年ジョージ・マリオ・ベルゴグリオが尋ねた時のことだ。それというのも、彼女たちがかぶっていたのが彼が見慣れたシスターたちの被り物に似ていたからだ。

両親が働いていたので彼はいわばおばあちゃん子として育てられた。それだけに、おばあちゃんからの影響は彼の将来に大きな影響を及ぼした。冒頭の会話からも分かるように、教皇の根本にあるのは祖母ローザから受け継いだもの。たとえば、裁きよりも同情が先に立つとか、たとえその人について何も知らされていなくても、その人の一番いいところを見ようとする姿勢などがそうだ。

彼に大きな影響を与えたのは、やはり女性だった。食品研究所で栄養についての試験に従事していた時の上司が女性で、しかもマルキスト。彼女は、結果が出るまで何度でも試験を繰り返させ、細かいところまで注意を払うことがいかに重要かを徹底して教えてくれたという。実際、教皇は「あの時の仕事は私の生涯でもっともよくできたうちの一つだった」と述懐している。その時も彼は、「私は生涯の中でたくさんの善良なマルキストに出会った」と証言している教皇のボスでマルキスト。でもいい人です。(2013年)。以上、フィラデルフィアのホテルで無料配布されたTIME誌の記事より。

話のレベルは違いすぎるが、子供のころ、父親は村の議員だった。良く訪ねてきていた県会議員とは大の仲良しだった。彼は共産党のno1だったが、父親は「安太郎、安太郎」と兄弟のような親しみを込めて彼の名を呼んでいた。だから、子供の頃から彼の名前にはなじんでいた。「神様を信じない人とどうして友達になれるのだろう」と子どもの頃から不思議に思っていたものだ。しかし、父親もきっと、「でも、いい人です」というローザおばあさんの心境だったに違いない。

これから、フランシスコ教皇についてのエピソードを書いてみたい。

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