アシジの聖フランシスコのように生きるならあなたも聖人になれる

部屋のテーブルには野草の盆栽が それでも!Blog

無一物の聖人

今日はアシジの聖フランシスコの記念日。1182年イタリア中部のアシジに生まれた。 1226年に亡くなったので、44年間の人生だった。父親から譲り受けた遺産を全て放棄し神に硬く結ばれる生き方を選んだ。そして、愛と謙遜とともに施しを強調し「施しは魂を罪の汚れから洗い清めてくれるからです」と。「毎日の読書」より。かつて見たウンブリア平原が蘇った。

夢の実現

6時過ぎ起床。あれ、台風は来なかったようでホッ昨日の講話後の分かち合いとはうって変わって、今朝は現実問題。問題といっても、倒れないように必死だった頃が嘘のような話題は二つ。新園舎の建設に、増築の話。頬をつねってみたくなるほどだ。夢のまた夢があっという間に現実のことに。

フランシスコのように

希望のうちに会議を終え、教会でミサ。福音はマリアとマルタのことだったが、「フランシスコの話をします」と主任司祭。”お腹が空いて死にそうだ〜と騒ぐ兄弟にどうしたかというと、街に行って飢えている人を何人も連れてきて騒いでいる兄弟と一緒に食べてもらった。それは、「特別待遇と思わないようにするための心づかいだった。”なかなか考えさせられる話しだ。今朝読んだフランシスコの言葉が思い起こされた。「愛と謙遜と施し。」飢えた兄弟に食べ物を上げることも一種の施しだとして、兄弟への心遣いはまさに愛。見えない所での心遣いが本当の愛。「私たちもそう生きることで聖人になれるのです」と結ばれたので、思わず「ハイ」。

子供の園

スッキリとまではいかないが、秋の空がのぞいたミサ後、幼稚園で子供たちの給食のおすそ分け。ご飯と味噌汁に魚のフライ二切れときわめてシンプルだったがすっきりした味でおいしかった。それにしても、30数名だった幼稚園が100人を超すとさすがに子供の園らしく賑やか。あっちにもこっちにも子供子供…。政府の幼稚園改革は、弱小園救済という意図もあったとは思うが、元気になった幼稚園が生き残るための知恵比べは続くようで、喜んでばかりもいられない。表情を引き締めた園長たちにエールを送りながら「健康専一に」と願わずにはいられない。台風一過の錦江湾を1:30のフェリーで帰った。

高級レストラン

夜は、日本語勉強のため来鹿中のホ神父さんと新司祭の3人でと回転ずしへ。韓国で、回転ずしは高級レストラン?だそうなので社会勉強のため。1時間半も。周辺の席は2組も3組も変わるというのに。新司祭もフランシスコということで、かねて飲まないビールをジョッキ二杯も。三人、しっかりエンジョイした。フランシスコ新司祭は明日から1カ月の休暇で帰国。韓国には台風が近づいているというが。「11月14日からの日韓司教交流の時は迎えに行きます」と張り切っていた。

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