福島の今

社会司教委員会主催の司教のための社会問題研修会。「司教のための」と限定するところが思わせぶりだが、福島と聞けば行かないわけにはいかない。大槌は行ったが福島はまだ、という単純な動機。

初日は、福島市内の松木町教会で「愛の支援グループ」から活動の様子を聞かせてもらった。「仮設を転々と回されて何度死のうと思ったかしれない。でも、もう思わないよ。」当初は笑顔もなく人の善意も素直に受け取ることが難しかった被災者が時の経過とともに心を開くようになったときの話だ。

この教会には茶道クラブがあって仮設の皆さんに呼びかけるお茶の集いが好評で、この話もお茶でくつろいでいるときに出たという。グループのモチベーションは高く、「最後の一人が出るまで支援を続ける。」また、当時、町内会長だった1人の信者の発案で近隣に呼びかけ、「お風呂ボランティア」の札をかけてもらって喜ばれた話や放射能は見えないから怖いという話、それに「原発をなくすために何をしたらいいか分からない」という代表者の話は司教団に教えて欲しいこととして語られたもの。

数年前、沖縄での平和学習で基地の話を聞いたとき、全く同じ質問をしたことを思い出した。基地が沖縄に集中している不条理さと人々の苦しみに心が痛んだ。大変だということや話を聞くだけの自分に苛立ちのようなものを感じながら聞いた。「じゃあ、私たちはどうすればいいんですか?」「こうして来てくださって話を聞いてくださるだけでいいのです。」案内の人の返事に思わず声をあげたものだ。「えー、それだけでいいのですか?」

初日の16日、松木町教会での重たい質問を胸に訪れた南相馬での被災者の方の話の結びが沖縄で得た返事と全く同じだったことに驚いた。「私たちは忘れていない」というメッセージは被災者、被害者を問わず窮地に立たされている人々にはどれほど力となることか。ボク自身、窮地に立たされていなくても、「いつもお祈りしています」という便りやメールに、嬉しいというだけでなくどれほどの安心と励ましを受けていることか!思わず、「よし!」と居合が入るものだ。

まして、3年9カ月というときの経過とともにマスコミだけでなく人々の関心が薄れていく現実に「取り残される不安」は大きいに違いない。」ただ気になったのは、今朝ミサをした教会の一角に設置された線量計の数値。通常は0.08デシベル程度だと聞いたように思うが0.27。そういえば、日本の安全基準はロシアよりも甘く、それに従うなら、福島市の人口30万全員が避難しなければならないことになるという。

一方では、「心配し過ぎ」という声もあって、原爆被災地ではその直後から、人々は掘っ立て小屋をつくて住み始めたじゃないか。そのせいか、未だに被曝の犠牲者が苦しんでいることも事実だ。

ボクには、よく分からないが、今回耳にしたのは、「健康被害よりも深刻なのは人権侵害や差別の問題」だという。健康被害問題はは素人には分かりにくい。人権や差別のことなら自分たちでなんとか対応可能ということのようだった。「福島はは置き去りにされているのでは?」富岡駅の生々しい惨状を目の当たりにした時の正直な感想だ。

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☆神に仕える身でありながら、カミガミ(紙々)の要らない世界を標榜する人間の一人として、電子メディアに自分の思いを綴ることは大きな喜びです☆本を書かない代わりにここでいろんなことを書いてみたい。

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