教会はNGOではない

機内インタビュー - ざっくばらんなやり取りが報道陣には大うけだった。教皇の英語は、専門用語が出てきたりして思わず辞書に手が伸びるが、素人の自分でも、「この人の英語正しい?」と戸惑うことは多い。

「フィリピンの人々にはどんなメッセージをお持ちですか?」と聞かれてお答えになったのは「the poor」(貧しい人々)。英語の先生でなくても、What message…?と聞いているのだから、日本語的には「…について」とか答えるべきでは?と教育的指導が入るように思うのだが。もっとも、延々と説明が続くので、全く問題はないのだが。

いずれにしても、ボクなら、「エーと、そうですね…」と行きそうだが、教皇としては「貧しい人々に会いたい」という思いがあるので、文法的に正しいかどうかはともかく「貧しい人々です」と口にする。聞いた方としては、かねての教皇の動向が分かっているだけに、「貧しい人々にどんなメッセージを述べるつもりなのか?」と身構える。

あ、ま、そんなことはいいとして、貧しさを巡る話はいつもの展開で聞くものをタジタジとさせる迫力。一端を紹介したい。

貧しい人々は、使い捨て時代の犠牲者。私たちは人々を捨てているのです。人を差別するということは使い捨てへの道を開くものです。人々を不要者扱いすることになるのです。使い捨ては当たり前のことになっています。これが貧しさを産むのです。教会が先ず手本を示さないといけません。

次々開花--シンビジュームはどの鉢もますます隆盛を極めつつある。奉献生活を送る司教、司祭、シスター、真の信仰に生きる信徒にとって最も大きな罪となり脅威となるのはこの世的な生き方なのです。そんな生き方にあこがれる奉献生活者ほど醜いものはありません。醜いです!それはイエスの生き方ではありません。“教会”と呼ばれる非政府援助団体NGOではあっても、イエスの教会ではありません。

それは教会であることをやめることです。教会は、救いのために死んで復活されたイエスご自身です。キリストに従うキリスト者の証しが教会。私たちキリスト者はしばしば躓きのもとになっています。この世的になるとき躓きとなるのです。

枢機卿たちをも批判されたり、バチカンは間違いなく希望の開花を始めた、と思った。(続く)

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