話の好きな神父さんだった。天国では先に逝った仲間の神父さんたちとどんな話に花を咲かせておられるのだろう。

イザヤの如く

小聖堂のカサブランカ

小聖堂のカサブランカ

田辺神父さんの思い出は3つある。1つは、司祭6年目の時の司祭会議。「種子島からザベエリオ会が引き上げることになったが、行きたい人はいないか。」司教さんの言葉に、「ハイ!」と勢いよく手を挙げたのが田辺神父さんだった。一瞬、「エーあの年で!?」と驚いた。当時52歳?負けじと、「ボクも行きたいです!」と手を挙げた。結果的にはボクに決まったのだが、あの時の神父様の潔さというか、みんなが黙り込んで下を向いたときにさっと手を挙げた姿は忘れない。「…誰が我々に代わって行くだろうか。」「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」イザヤの召命(イザヤ6.8)にも似て、ボクを奮い立たせたのだと思う。イザヤの返事は二十歳の時だったという。あの時ボクは36歳。

苦汁の日々

もう一つは、志布志時代。閉園が決まった幼稚園の残務整理のはずだった。しかし、神様の計画は別だったようで再開に大きく舵を切ることになった。その後任として赴任したのだが、一週間ほどの引き継ぎの間、苦労話をたくさん聞かしてもらった。閉園から再開へと聞けば、めでたしめでたしだが、詳細は控えるが、当人にとっては急転直下、まさに苦汁の日々だったらしい。結果的には、質は違っても「苦汁の日々」は引き継ぐことになったのだが。しかも、ボクの人生でこれ以上の苦汁体験は今に至るまでない。これも結果的には、司祭職最後の仕上げともいえる強化合宿の日々だったと今では評価できるのだが。

予定日が通夜に

白い花々に囲まれて父のもとに旅立ち

白い花々に囲まれて父のもとに旅立ち

三つ目は、つい、先週のこと、神父様からたくさんのミサ依頼の書留が届いた。翌日、お見舞いとお礼を兼ねて報告に出かけた。ご聖体拝領の後、今後の治療スケジュールを聞いた。右手には、マジックで印がつけられてあった。そこに管を入れて血管を通しての透析が始まるということで、今度の木曜日(7日)がそのための手術の日だということだった。「牧山神父さんは、司祭会議にも出るぐらい元気になっていますから、神父さんもそうなりますよ」と言って病室を出た。その手術の予定日の今日7日が通夜の日となった。カードには金祝の時のみ言葉が。「み旨の行われんことを」

説教音声

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☆神に仕える身でありながら、カミガミ(紙々)の要らない世界を標榜する人間の一人として、電子メディアに自分の思いを綴ることは大きな喜びです☆本を書かない代わりにここでいろんなことを書いてみたい。

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