耳寄りな話。というより、夢のような話と言ったほうがいいかもしれない。AI、突然言われても何のことか分からないと思うが、Artificial Intelligenceと言えば人工知能のこと。それがどうした、ということになるのだが、先月目にした記事は、このAIが日本再生の切り札になるかもしれないという結論で、経済に疎い自分でも“再生”の意味ぐらいは分かるので、思わず「おっ!」と興味をひかれた。いや、再生というのは正確ではない。日本経済がダメになっているという実感も証拠もボクにはないので“もっと良くなる”くらいの理解ということになる。
ともあれ、このAI研究家たちが目指しているのが“人間超え”。しかし、それはあくまで限定的になるらしい。AIが高度に進化した場合、つまりAIが99%肩代わりしてくれる職業は保険の査定担当者で、99%肩代わりが効かない職業はレクレーリェーションセラピスト。何となくわかるような気がする。創造的な発想が求められる人間相手の仕事には向かないに違いない。向かないと言えば、小学校の先生の場合も94%肩代わりはあり得ない。それはそうだろう。自由奔放に発想する子供たちに機会がついていけるはずがない。割り切れない心の世界にまでAIの力量は及ばないらしいと分かってホッとした。
しかし、あらゆるデータを分析総合して病名を特定するときの確率は人間を超えることになるらしい。たとえそうでも、ミリ単位の誤差を克服はできても人の気持ちを推し量るほどの力がつくとは思われない。
ところで、日本の企業や労働者が語学ビジネスに費やす額は年間8000億円にも上るという。しかし、AIが進化すれば、 “人間超え”した翻訳機ができるはずだから、リアルタイムで肩代わりしてくれるから日本人の苦手な英語の壁がなくなることになる。完全ではないとしてもすでに自動翻訳機が出回っているから“人間超え”は期待できる。その点、AIの研究はナントカ細胞の研究に比べて人間味があって楽しい。
「もしもし、郡山さん?ニューヨークからです。」「はい、もしもし…」携帯AIが携帯電話みたいになって、相手の英語が日本語で聞こえ、こちらの日本語が英語で届く。夢のような話。早く実現するといいなあ。連休にみたバラ色の夢。
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