哲学がないから
新型コロナの蔓延により困窮を強いられる人々のことが連日のように報じられる。胸が痛み何とか早く収束してくれないものかとため息をつき、祈りもするが、指宿には来ないだろうという根拠のないのんきな思いもある。そんな中、4/30の新聞を読んで「そこが問題!」と思わず声を上げた。表題は論者の言葉の一部だが、首相が犬を抱いてくつろいでいる動画に対する批判の言葉。そして続く。「何をなすべきかという基本的な哲学がないから受けを狙って犬を登場させることになる」(南日本新聞6面)。さらに「・・・30万円給付を決めた翌週、1人10万円の一律給付に切り替えたり、哲学がないから迷走する」(同上)。「日本の政治には哲学がない。」いっぱしの評論家みたいなことを口にしていた自分としては、我が意を得たりだ。
計画性はないが
2泊3日のME(夫婦による夫婦のための集い)では、3組の夫婦と司祭がチームを組んで運営に当たるが、その中で性格診断みたいなところがある。各自がチョットした作業をするのだが、ボクは毎回「計画性がなく、新しがり屋で走ってから考え出すタイプ」ということになる。その通りで持って生まれた性格なのでどうしようもないのだが、そんなボクでも政治家の皆さんの少子化対策については言いたいことがある。幼稚園改革で経済的には大変助かっているのはありがたいが、それでもどうして子どもが増えないのか。それは、子どもを産めば産むほど暮らしが良くなる保証がないからではないのか。オリンピックでもメダルをもらったら国が賞金を上げるというのに。たとえば、子ども一人産んだらいくら、二人目からはいくらという具合に国が報奨金みたいなものを支給する。広々とした住まいも保証する。医療費や公共交通機関も無償。などなど子どもを産みたくなる環境整備が必須ではないのか。数年前訪問したカナダのモントリオールはベビーブームだった。上記のような施策が施されているからだということだった。
10万円も良いが
現在のコロナ騒動で国のリーダーの危機管理能力が厳しく問われている。残念ながら日本の場合は評価が低い。逆にドイツのメルケル首相は高い評価を受けている。シナが違うという感じだ。日本の政治家には、当然だとは思うが、聖書に基づいた人間観というか哲学的思考というか、そういうものの臭いがしないのだ。子どもの頃侍者もしたという元カトリック信者が一番情けない。コロナ収束に全力を挙げなければならないが収束後の日本をどこに導いていくかというもう一つの作業チームが機能しているのだろうか。冒頭に引用した学者や知識人たちに総動員してもらって新しい日本の姿を描き出して欲しいと思う。原発に代わるエネルギー開発での世界貢献というか地球を守る努力は唯一の原爆体験国として当然の使命ではないのか。10万円も良いのだが、そんなことが出来るのだから沢山の子どもに溢れた輝く日本を目指して欲しい。
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