引退しても教区を超えて堅信式に招かれ感動した話

と書くと、「必要とされて感動した」

大分教区南宮崎教会

大分教区南宮崎教会

のだと思うに違いない。必要とされたことは喜びではあるが、依頼された当初はむしろ想定外のことだったので驚きが先だった。というのも、あのチェノットウ元駐日大使が、「引退した

ら完全に自由」とににこやかに話されたことがいつも念頭にあったからだ。司教不在だから当然かとすぐに気が付いたのだが、堅信は主任司祭でもできるのに…という思いは残った。

放射状の聖堂。聖櫃と聖書の位置が印象的。

かつては、大人の洗礼の場合、堅信も同時に授けていた。それがいつの頃だったか、「司教に小教区を訪問する機会を与えるため」となり、ついに「洗礼は司教」ということになった。

感動の話に戻ろう。感動①二人の受堅者から手紙をもらったこと。感動②1年にもわたって準備したこと。感動③「これからは周りの人のことも考える人になりたい」「大人の信者として

信者たちからのプレゼント

信者たちからのプレゼント

生きていきたい」という決意が述べられていたこと。感動④シスター1人を含むスタッフが8人もいたこと。感動⑤子どもたちがたくさんいたこと。感動⑥二つの食卓の霊性が生きていた

こと。つまり、聖櫃と聖書が同じ高さで安置されていたこと。これは、ベトナムで初めて目にして感動したことを覚えている。聖堂が建った時からと知って感動ダブル。

かわいらしい教会幼稚園

かわいらしい教会幼稚園

感動⑦中学生の親子にゆるしの秘跡を授けたこと。しかも難しい年頃の男の子。感動⑧高齢者が目立たなかったこと。どうでもいい感動だが、駅の食堂で食べたチキン南蛮とビール💮。

心地よい疲労感を我が家の温泉で癒した南宮崎教会ミッションだった。完

 

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