1人になっても独りぼっちにさせない、が合い言葉

どこかの教会のことではない

神奈川県の大和市のこと。今朝の南日の囲み記事”時言”によると、今年7月、終活支援条例が施行されたのを受けてこの合い言葉で活動をしているのだという。世の人々はなんでこんなにも心に響く言葉を生み出す事が出来るんだろうと思う。

ところで、終活と聞けばやはり人ごとではないと感じる年頃?になった。先日「もうずっと指宿で良いよね。」親しい司祭の言葉に周りもここが終の棲家と認識していることが分かって安心した。つまり転勤はもうないということだから。

信者は主任司祭が5年目に入ると、「来年は転勤か」と思うのだと奄美時代に聞いたことがある。種子島時代に驚いたのは、80才を過ぎたシスターが転勤してこられたことだ。ニコニコしながら「お台所ぐらいは出来ますので」とあっけらかんとした姿を忘れない。召命の極致かと。

それ以来、「足腰立つうちは」の思いは消えないが、来年どこそこに転勤と聞けば、「エーッ!」と言うに違いない。帰天されたチェヌットゥバチカン大使の「おめでとう。あなたはもう完全に自由です!」の言葉があったからだ。

それでも指宿には喜んできたのだが、内心「もうこれでおしまいにして欲しい」と思ったことは間違いない。何でこんな話になったのかといえば、そうそう、今朝の新聞から発展したのだった。

左は輸入物、右は奄美産

左は輸入物、右は奄美産

実は、バナナを巡って書くつもりだったが新聞の記事が気になったものだから。2週間前に買ったときの色とほとんど同じなのが気味悪かった。右は24日の日曜日に届いた青バナナ。今後2週間は持たない。薬漬けの恐ろしさを実感。次回再度。

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