タイムスリップ

綺麗なミサを捧げよう。「よう、シボッタね。」久しぶりに再会した友人の第一声。一瞬、なんのことかと思ったが、丸みが増した彼にしてみれば「羨ましかね」と言いたかったのかもしれない。「ヤーヤー久しぶり!」の握手で始まった元神学生たちとの会食。全員70前後。たちまち思い出話に花が咲いた。

机を並べた哲学生時代。校則に不満を述べたら、「法律のために人があるのではなくて、人のために法律がある。」始めて聞く先輩の哲学的見解!少し大げさだが、神学校という異文化の中に身を置いたばかりのボクにとっては目からウロコの大発見。哲学生のアカデミックなというか、透徹した理知の世界を見たようなインパクトに打たれた。「なーるほど!」感服しているボクにしたり顔でつけ加えたものだ。「規則は破るためにある。」50年前のことだ。

「生意気なことを言ったよな〜。」目の前の先輩が同じ顔で照れながら述懐するように頭を掻いた。中には、いくつもの会長を務める自称「隠れ」もいて、話題は尽きることなく、あっという間に楽しい3時間が過ぎた。

今日は、一日中新しくなる典礼のお勉強会。といっても、ミサの式文はまだだが、先に認可された総則について。ミサ中の所作は司式する司祭によってまちまちという現実は是正が必要との認識からだ。ミサ中の所作は統一されてはじめて教会の一体性を表すことができる。ミサは教会の中心となる典礼だから当たり前といえばそうだ。所作にはあまり気を使ったことがなく、気ままなところがあるので自戒しきりだ。

「主は皆さんとともに。」開式の時は両手を広げながらいうが、福音朗読や祈願の時には両手は合わせたまま。「皆さんとともに…」はいつでも両手を広げた方が招いている雰囲気があるからいい、というこれまでのボクの考えは退けられた。

外国籍の女性がご聖体拝領の後で膝をつくのもダメ。日本に住んでいる外個人でも日本の教会のやり方に従うのが教会の一体性を生きることになるので早く馴染んで欲しいというバチカンの意向があるらしい。外国に住む日本人の場合も同じ。聖書朗読は洗礼を受けた人の預言職の行使なので信者に限られる。教会の一体性ということを具体的に学んだ午前中だった。

午後からはお隣の教会で実習。

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