司祭養成75年の消えゆく学び舎に惜別の情深く

それでも!Blog

(51+8=)59年前の4月のことを忘れない

なんとなく頼りなかった並木も今では威風堂々

なんとなく頼りなかった並木も今では威風堂々

司祭になって51年、神学校で養成を受けたのが8年。かっこの中身のことだが、先輩の神学性に伴われて校門をくぐるとカイヅカイブキの並木道が続いていた。その向こうに鮮やかなオレンジ色に覆われた4階建ての洋館。それが神学校だった。一棟だけというのは、二万坪と聞いていた広大さには不釣り合いな感じがしたものだ。

それ以上に驚いたのは入学式がなかったこと。質素な感じの夕食時に同伴した先輩神学生にそっと聞いてみた。「新学期初日の夕食に13名の新入生が合流したのでこれが入学式。」漠然とイメージしていた入学式の華やかさとは無縁だと知った時は、あまりのそっけなさにまさに小さなカルチャーショックだった。こうしてカナダ式司祭養成のプログラムに身を投ずることになった。

ラテン科生は楽しい

3階右端がラテン性の共同寝室

3階右端がラテン性の共同寝室

クラスが始まっても驚きは続いた。「国語」の授業が用意されていたことには面食らった。高校時代に逆戻りしたような違和感をぬぐえなかったが、英会話、ラテン語入門のクラスでやっと「神学生になった」実感を持つことが出来た。何よりも神学入門は、ようやく自分の信仰の確かな裏付けを取ることが出来たようでまさに目からウロコの毎日だった。神の存在と悪の存在など立ち往生させた高校時代の友人の顔が浮かび、ひそかに腕まくりしたことも懐かしい。毎日のようになされるラテン語の試験では赤ペンのペケをたくさんもらった。でも楽しかった。

哲学科生は厳しい

テキストはラテン語。試験も、出された問題にラテン語で論証する極めて学問的!三段論法を駆使しての明快さが求められた。そんな訓練を二年も受けたものだから「ア~言えばコウー言う」議論大好きな神学生になった。簡単に同意したり共感するのは哲学性らしくないと自己価値を高めた。だから、どんなに悲しい映画を見ても涙が出ることはなく、周りを見ながら、「今は泣く時なんだナ」と分析するありさまだった。

神学って学問?

前期4年はこれからの神学4年を準備するものという位置づけだった。これまで身に着けた理論武装が力を発揮するときだと身構えていたのだ。そうして臨んだ最初の授業の手ごたえのなさは失望にも近いものだった。聞いているだけでみんな分ったからだ。あまりにやさしくて気が抜けたたと言ったほうがよかった。もはや議論の余地のない神学。「これって、学問?」これが正直な感想だった。

第二バチカン公会議直後の司祭養成課程の改変によって従来の論証を主とする神学から聖書を軸にした教義神学に様変わりしていたのだった。つまり、これまで聖書は引用されることで、論証を裏付けする脇役から主役に躍り出たわけで、聖書中心の神学が求められたというわけ。こうして、理論武装とは程遠い聖書に学ぶ4年を過ごすことになった。こうして、本来の自分?を取り戻し、共感共有を旨とする今どきのシノダリティ(共に歩む)の基礎を固めることで司祭の基本理念が築かれた時となった。

そんな神学校がなくなる

卒業生後援会信徒で聖堂があふれた。記念撮影

卒業生後援会信徒で聖堂があふれた。記念撮影。

この3月で我が母校は75年の歴史を閉じることになる。これが最後の見納めと思って出かけたのたが、院長神父さんの話で2月23日に閉校式のミサが捧げられるとのことだった。再訪の機会をもらったことを嬉しく思う。神学校をめぐってはその時また書くことになると思う。

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