突然のベトナムミッション始末記

ドゥン神父さんの実家の前庭。ご両親とお孫さんたち。十月になったばかりの頃だったように思う。ベトナムコントゥム教区を訪問した溝辺のシスターから報告を受けたのは。コントゥム教区出身のシスターの終生誓願式に来られた司教様の熱心なお招きで開設することになったための事前調査の報告。司教様が200ヘクタール(約200町歩)もの広大な土地も提供されて修道院建設の費用も積算されたということだった。

お金のやり取りに疎い?シスターが司教様に質問したという。「そんな大金をどうして送ればいいでしょうか?」「司教様が来られるときに少し持ってきてもらったらいい」と言われたというので聞き返した。「司教ってボクのこと?」「そうです。だって、司教様からご招待いただいて返事なさったのでしょう?」「エーッ!あれが返事だったの?!」飛び上がるほどびっくりしたとはこのことだ。

初対面の時応接室で1回、誓願式後のパーティーで1回、計2回「コントゥムにも来てください」とのお招きを受け、「ありがとうございます」と返事したのは確かだが…。日本的な挨拶が全く通じていなかったことに驚いた。正直言って、そんなやりとりすら忘れていたものだからホントあわてた。幼きイエズス修道院聖堂。志願者12人。しかも、「早いほどいい」というダメ押しまであってあわてて携帯を開いた。「行くと言ったのに来てくれない不誠実な日本人」と思われては大変。なんだかナショナリストになった感じだが、頭と気持ちを整理する間もなく21-28と決めた。

少し時間を要したが、突然のミッションの目的を2つと決めた。一つはもちろん、コントゥム教区訪問。こちらは司教様の意向のもとに教区の実情視察。もう一つはニャチャン教区の司教様と会うこと。実は、ボクにとってこちらの方が重大なことだった。かねてから、アン神父さんの鹿児島教区入籍は念願の一つだった。「若いうちはいいが、年を取って働けなくなった時のことが心配。外国人司祭にとって身内がいるでもない外国で身を寄せるところがあるのか。難民のようにならないか。本人がいいと言えばそれでいいのだが。」司教様の心配が重く響いた。

1時間の面談で理解したのは[単に、司祭の家があればいいというものではなく、身内や身近な信者たちが気軽に立ち寄ることのできない司祭の老後は難民に等しい。]そこまで気遣っておられることに感動してしまった。共産党政権下での司教さんたちの教会運営はボクには想像もできないほど複雑。何処の教会にも共通したデザインの花飾り。実際、政府からにらまれる司祭が外国送りになることもあるという。政府にも教区にも不利だからだ。入籍を持ち出したことを少し後悔した。ともあれ、5年から10年の契約延長を快諾してもらったことで今回のミッションは大成功。心からそう思った。

話は突然変わるが、ベトナムに限らず、アジアの国に巡礼するならクリスマスにすべきというの実感だ。元気いっぱいの生きた典礼に出会えるからだ。日本のクリスマスのなんと静かでスマートなことか。そんな実感も新たにした。早朝5時のミサという体験も貴重。

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