昨日と今日、正平協勉強会。正確に言えば、カトリック正義と平和協議会錬成会。テーマは「福音ってなんだ これだ!」。ちょっと変わったタイトルだが、確かに、”これだ!”と感じるときがある。信者であるなしに関わらず、「この人は福音を生きている」と感動した体験は数知れない。
参加者の一人は信者ではない。十数年前、中国で小学校た立てて感謝された。小学校や身近な人々に募金を呼びかけて、総費用の半分余りを集めたという。「そんな人たちが日本に銃を向けると思いますか。絶対ありません。」宣言にも似た確信に満ちた言葉はみんなの心を揺さぶった。
そのほか、国境なき医師団やイラクで井戸を掘っているお医者さんなど、数え上げたらきりがないが、いずれも、間違いなく福音を生きている人たちだ。そうそう、錬成会に参加された皆さんの話を聞いた講師の神父さんは「ボクが話さなくても皆さんが答えを持っている」みたいな感想を分かち合われた。そんな話の流れの中で出されたのが「神は細部に宿る」だった。
そのことを思い出しながら、日常生活の細部に戻ってみると”細部に宿る神様”と出会うことは多い。歩道の端によって自転車を避けることがよくある。無言でやり過ごす人もいれば「すみません」と恐縮する人もいる。予期しない反応に、心がパッと明るくなる。そして、「きっといい人に違いない」と思ってしまう。親しくさせてもらっている立正佼成会流にいえば、「仏性礼拝」の心境。日々目にする小さな親切。これからは、”小さな親切大きなナントカ”などヨモヤ言うまい。
久しぶりの主日のミサは介助なし。いつもは出るオルガンが鳴らない。仕方がないので、恐る恐る「シンコーノシ-ンピー!」ミサ後、オルガニストが飛んできた。「司教さん、バッチリ!」音程のことだった。合格通知をもらったようで嬉しかったが、お昼の時、すべたが明らかになった。「司教さん、カリスの聖変化忘れたね。」「エーッ!…アーア、認知の深化、ついにここまで来たか!」それで、分かった。オルガにストは鳴らしようがなかったのだ!彼女の満面の笑顔はボクが事の真相を知った時のためのフォローだった?細部に宿る神に感謝。
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