海が時化た時は離島の悲哀が蘇る。かつて神学生の頃、冬休みが憂鬱でならなかった。冬の七島灘の時化は半端ではない。わずか1500トンの定期船はまるで木の葉。そんな時化の中、洗面器を両手に抱えて階段で一晩過ごしたことも。内臓機能も完全にリズムを失ない、パニックになっているのが分るほどだ。そうなると気分の悪さはダブル。
こんなこともあった。貨客船だけに、帰省客でごった返すなか、解体されたヨークシャーが甲板に野積みにされ、定員オーバーもなんのその、客室からあふれた乗客と共に解体豚の山を背にして一晩過ごしたことも。今では信じられないようなことだが、古き良き時代?の話。
そして、50年後の今日、満席の高速船は時速80キロで果敢に波濤を攻め、落下することもなく突き進み、感動すら覚える。まるで、忍者が敵の放つ手裏剣をひょいひょいとかわしながら攻めていくようで楽しくすらある。一方、乗客はというと、洗面器ならぬスマホを手に持ち、ある人はうたた寝を楽しみ、あるひとは”なんでも鑑定団”に見入っている。船酔いどころか時化を楽しむかのように写真を撮る人もいたりする。ボクもその一人だが、まさに、隔世の感大。
船酔いについては冒頭でも触れたことだが、神学生時代の冬休み、船に乗る日は朝から半病人。「鹿児島に残りたい」と心底思ったものだ。しかし、神学校の方針は、「各休暇は家庭で」というものだったので、少し大げさだが、泣く泣く、つらい船旅を強いられ、離島の悲哀をなめさせられたものだ。それでも、司祭になって、5年間にわたる種子島赴任で時化に強くなった。当初は、船酔い防止の薬に頼っていたが、そのうち時化克服に成功して薬要らずに。
ともあれ、ロケットは定刻よりわずか5分ほどの遅れで接岸。”時化たらすぐ欠航”というイメージを払しょくした。
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