聖地バドヴィツエ
8月1日午前8時、キエルチェ教区を離れて巡礼の最終段階へ。日本ではアウシュビッツで通っているが、これはドイツ人がつけた収容所の呼び名。オフィシエンチムという町の人里離れたところにある。今回のオオトリとも言うべき後半のメインとなる訪問地。その前に、先ずは聖ヨハネ・パウロ二世の生誕地、バドヴィツェ訪問。日本グループだけのミサができなかったので、記念聖堂でのミサでご聖体を頂くことに。超満員で、入れ代わり立ち代わり、ゆっくり祈る雰囲気ではなかった。
バドヴィッエを撮る
聖人の好物だったというケーキを買って食べるのが流行っていた。生家にも行ったという人もいたが、絵になると思われるアングルを探しては何枚も撮った。これまでの経験から教室の先生から認めてもらったものは少ないが、それでも、めげずに持っていくつもりだ。広場での野外レストランで昼食。メニューは確かチキン。やわらかいあっさり味だった。お昼を済まして、いよいよアウシュビッツへ。2時間ほどで到着。
狂気の世界へ
第一収容所は煉瓦造りの頑丈なものでその一角にコルベ神父様の地下室もあったが、中には入れなかった。もっとも衝撃的だったのは、ガス室から200mほど離れた小さな森の中に所長の邸宅があり、毎晩のように酒池肉林の贅沢三昧だったという。「終戦とともに、所長は逮捕され、ここで吊るされました。」ガイドさんの説明を聞いた時、それまでこわばっていた全身の緊張が解け、思わず、「あー良かった」。そんな反応の自分に驚いた。死刑廃止に賛同しながら、復讐心が健在なことを認めざるを得なかった。
忘れない
しかし、ユダヤ人たちは、今もナチの残党を捜し続けていると聞いて、改めて目には目の旧約の民の限界を知ったように思った。というよりも「だからイエス様が必要だったのだ」と妙に納得した。そういえば、97年に訪れたエルサレムのホロコースト記念館「ヤド・バシェム」はユネスコ記憶遺産にも登録されているという。忘れないことはその民のアイデンティティーにもかかわることだと思うが、それだけに、十字架上の主のことばは重たい。「父よ、彼らをおゆるし下さい。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23.34)。
十字架上の赦しこそ
そんな主の前でどんな大義が通るというのか。そういえば、日本政府も死刑を継続している。人情の深い国民にとって死刑廃止は至難の業かも知れない。第二収容所は一周するのに1時間以上もかかる広大なもので、第一と違ってバラックの粗末なものだった。それにしても人間はどうしてここまでアクマになれるのか。暗澹とした気持ちで宿舎となるサレジオ会の専門学校に向かった。
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