ポーランドから突然フランシスコの故郷ウンブリア平原に心はせながらラウダート・シ

創造の福音

ラウダート・シ読了。WYDは一時中断して2章から少し紹介したい。2章のタイトルは「創造の福音」。「聖書の中の創造記事は…密接に絡み合う三つのかかわり、すなわち、神とのかかわり、隣人とのかかわり、大地とのかかわりによって、人間の生が成り立っていることを示唆しています」(#66)というくだりは、思わず身を乗り出した。大好きな3つの調和の話しだからだ。ボクの場合、「神と人、人と人、人と自然の調和が壊れていくお話し。これが罪」と紹介していたが、さすがに、教皇の説明は含蓄に富んでいる。「いのちにかかわるこれら三つのかかわりは、外面的にも私たちの内側でも引き裂かれてしまいました。この断裂が罪です」(同上)。

教皇の原点はアシジの聖者

更に目を引くのは、ここでボクの場合出てくるのが3つの調和の体現者としてのイエス様。しかし、教皇が出されたのはアシジの聖フランシスコ。意表を突かれた感じだが、いかにも彼らしい。「アシジの聖フランシスコがすべての被造物とともにあって経験した調和は、そうした断裂のいやしとして理解されたのです」(同上)。小鳥に説教したり、狼を諭して森に帰した話は有名。教皇の視点は、常に創造の原点からそれることはない。「被造界は、すべてのものの父の広げられた手からいただくたまものとして、また天地万物の交わりへとたしたち皆を招く愛によって照らされた現実。」こうなると、道端にうっかり唾もはけない感じがしてくるが、確かに自然界は崇高な目的を持っていることに異存があるはずがない。「あらゆる被造物は、…父の優しさの対象です」(#77)ということにも。

日本司教団に日の目?

「日本司教団は、」という書き出しに突如出会ってビックリした。「彼ららしく、啓発的な観察眼を披露してくれました。」正直言って、「へ〜」なのだが、もしかして一昨年だったか、集団でのアドリミナ面談での日本司教団の忌憚のない発言の数々を覚えておられたのかもしれない。そして、秘書に調べてもらったら「いのちへのまなざし」(2001年版)に行き着いたといことかもしれない。因みに引用箇所は次の通り。「それぞれの生き物が、それぞれのいのちの歌を歌っているように感じ入ることは、神の愛と希望の中にわたしたちが喜び生きることにつながります」(#89)。確かに教皇好みの文章ではある。それよりも、認めてもらったようで嬉しい。日本司教団のメッセージを取り上げた回勅は前代未聞?まずは手にとって読んでもらいたい。

吉野教会で3年ぶりとなるミサ説教音声

 

 

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