メインイベント始まる
7月31日(日)主の復活の朝に合わせた形でWYDは閉幕する。今日がその日。参加者にとってはもっとも印象深い一日となるはずだ。閉会ミサは9時だというのにホテル出発は5時と早すぎ。会場には3時間も前に到着。香部屋は、国際見本市用かと思われる天井の高い鉄骨組。すでに多くの司教たちでゴッタ返し、中には秘書の司祭を同伴する人もいて、自分とは違う世界を感じた。Mサイズのアルバはすでになく、特大サイズ。
広大無辺神の民
いつの間にか日本の司教たちとはぐれ1人でメイン祭壇横の司教席に向かった。半分ほどが空席で中ほどの左端に陣取った。次々と司教たちが登壇してきて、振り返るといつの間にか全席がほぼ埋まった。日本の若者たちを探したが、いかに目を凝らしても日の丸は目に付かなかった。後で分かったことだが、グループAで「祭壇どころか自分たちが何処にいるのかも分からなかった」という。これも閉会後に分かったことだが、ミサ参加者は300万人、司教800人、司祭2万人。これほどの人を収容できる土地があることに素朴に驚いた。考えてみると、これまでの開催国はいずれもこうした条件を満たしていたことにも気がついて狭い国土に住む者として今更ながら感に耐えかねる思いだった。
いつくしみの門も
正面向こうにはいつくしみの門と思われるゲートが見えた。時間もたっぷりあることから探索に出かけた。恵みの門をくぐると「一枚撮りましょう」とボランティアが歓迎の笑みを浮かべながら近づいてきた。撮られるのは好きではないので普段は断るのだが、彼も、ボランティアの役割を果たせたと喜こぶだろうからとが素直に従った。祭壇正面は司祭席になっているようでかなり空席がめだつ。席に戻ると仲間の司教さんたちも揃っていた。
踊れや踊れ
会場には相変わらず大音響のテーマソングが流れ、軽快な曲になるとあちこちで踊り出す人達も。見ていると若いシスター軍団も。なんと、祭服を着たままの司教さんも数名ノリノリ。座っているだけでも汗をかきそうな暑さが増す中、「後で後悔するだろうに」。地元で人気のアーティストSONsもエレキやドラマにボーカルと若者の祭典を盛り上げようと祭壇横の特設ステージで熱演。見とれるように聞いていた一団の中から今度もシスターが体を揺らしながら柵に近づき数人のオジさん達と踊り出した。「演奏者もみんな信者なんだろうなぁ。」カトリックの国に刹那のジェラシー。
三年後はパナマ
教皇が登場されて会場全体が地鳴りのような歓声に包まれた。五大陸から選ばれた5人の若者が教皇に同伴した。彼らしい配慮に驚いた。今回の説教はイタリア語。お隣の押川司教さんの同時通訳で助かった。「今日ここにいる人はみんな御聖体拝領をしてください」とも。「今までの話で一番力強かった」らしい。ミサの終わりに次回開催国が発表されると、すぐ下の席に陣取っていたパナマの一団が歓声を上げながら祭壇正面に踊り出た。ミサ前、探索から帰るときパナマのロゴ入りのTシャツの若者に「次はパナマ?」と聞いたら「知りません」。「どうしてここに座っているの?」やはり「分かりません。」そう言ってたくせに!ヤッパリそうだったのだ。手の内を読むのに施工したようで何となく勝ち誇りたい気持ちになった。それにしても一体どうしてパナマ?
ありがとう日本語ボラティアの皆さん
一旦ホテルに戻り夕方4時からの解団式に備えた。実際には、5時半。「いい思い出に終わらせるのでなくて、たとえ小教区に若者が自分1人でも主日のミサを大事にしてください。」団長挨拶は老婆心。これで、役目終了を実感。ホテルに戻っての司教団の慰労会は一番豪華にワイン付。さて、本大会はボクにとって何だったのか。若者たちの感想から、ということになるが、①日本ではマイナーな信者の一人にすぎない点の若者たちが天と出会った。つまり、広大無辺な広がりを持った神の民に飲み込まれ天の父と出会った。そんなドラマを見届けた感動。②日本教会の未来は明るい。彼らが力になってくれるから。そんな希望をもらうことができた。この二点にまとめられると思う。
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