神様できることなら
かつて1番下の3歳になる妹がチフスだったか、重篤に陥り明日をもしれぬ状態になり、「ロザリオのお祈りをしましょう」というアメリカ人宣教師の言葉に弾かれたようにみんなでロザリオを取り出したことが蘇った。三教区合同黙想会に出発する前日、「松森神父さん入院」の報に驚いた。そして当日、「今日か明日という状態」との第2報に、「さて困った。こうなれば、会期中でないことを祈るしかない。」参加者全員が同じ思いで沖縄に飛んだ。60年前の妹の件を思い出しながら黙想の合間に必死にロザリオを繰った。「できれば元気にしてあげて下さい」という望みは叶わなかったが、最後のミサ終了直前の9時55分、神様はみんなの願いを見事に叶えてくださった。
ドンピシャリ
もっともその時点では知るよしもなかったのだが、ミサ後、聖堂を出る時、様子を見るためやはり奄美を寄って様子を見て帰ることにした。その旨、地区長には知らせておこうとスマホを手にした。沢山の留守電の上位2人が事務局長と奄美の地区長。「いよいよキマったか」と2人にかけ直すもいずれも「話し中」。仕方なく一足先に帰った司教総代に確かめると予感は的中。空港ロビーでそんな話を聞いた大分教区の司祭が言った。「松森神父さんは親孝行ヤナ」。「親孝行」は意外だったが、司祭と司教の関係をそんな風に理解していたことを、何故かスッと受け取ることができた。「イヤー、ドンピシャリだったね」と返したら、みんなも感動の同意。
すべて手回し良く
予定より15分も早く着いた奄美はやはり梅雨空。小雨が降る中をティエン神父さんの車で聖心教会に向かった。早速、地区長と面談し、葬儀はカテドラルで5日(月)午後12時半であることを取り決めた。葬儀屋さんに来てもらい鹿児島への輸送手続きを依頼し、ボクが同伴することに。松森神父さんを迎えに来たようなものだ。なんという神様の手回しの良さ!4時少し過ぎ、ミサの正装に着替えた神父さんを4年近く住み慣れた恵の園に搬送。(中断)昨日、迎えの葬儀社の車で5時ごろだったか無事カテドラルに着いた。
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