聞き取り練習だった?
毎回プリントが配布されたのは外国人であるが故の外国籍司祭に対する心遣いだと思った。しかし、鹿児島の司祭たちには読む作業も大変だったに違いない。それでも、ゆっくりした口調は聞き取りの勉強になったと思う。ともあれ、心に残ったことをいくつか記してみたい。
お猿さんに学ぶ
日本での宣教師募集のためインドの南部を訪問した時のこと。現地の人たちはサルを食べることを知ったという。サル捕獲には果汁を抜いたヤシの実を使う。小さな穴をあけ、中に猿の好物を入れ針金で木に吊るす。嗅覚の鋭いサルが早速やってきて穴に手を入れ中の好物を握りしめる。しかし、行きはヨイヨイ帰りはナントカで手を抜くことができない。折角手にした好物を離すまいともがくうちにあっさり捕獲されてしまうのだという。サルには同情してしまうが、中学生の頃鶏を締めていた感覚なのかもしれない。「皆さん、司祭が、車、趣味など神様以外の物にしがみつくならこのサルと同じように司祭の命、召命の恵みを失ってしまうことになる。」
キング牧師と出会って
子供の頃、あのマーチン・ルーサー・キング牧師の演説を聞いて大変感動したという。「神様の愛は高く、神様の愛は深く、神様の愛は広く誰も掴めない」と歌いながら行く解放運動の行進について行ったこともあるという。そんな彼を父親がひどく叱った。当時、と言っても1950年代、熱心なカトリック信者でも人種差別が神様の愛に背くという認識はなかった。数年前、母上が老人ホームに入るため家を売りに出した時、両側の隣人たちが言ったのは、「黒人には売らないでね」だったという。一般庶民の中に今も残る差別意識に驚いた。「黒人はアメリカの良心。ウチナンチューは日本の良心。」虐げられた人々の中にこそ真実があるということだと思うが、心に残る言葉だ。
番外篇
故郷の奄美で兄弟たちと再会すると島グチが自然に出るが、よそでは標準語になってしまう。環境や人の空気みたいなものが作用するのだと思う。個人的に言うと、沖縄と鹿児島に対する気持ちは親戚と知り合いほどの違いがある。それでも、住んだことがないからだと思うが、指導司祭が言うように「辺野古に行って」運動に参加しようという気持ちは湧かない。過去に、数回平和学習に参加したものの、話を聞くだけの学習に終わった。今朝、パク神父さんが一冊の本を示しながら「故郷の人が書いた故郷百済についての本です。天皇陛下も百済が故郷です」と話してくれた。確かに、日本文化のルーツは百済。ボクとしてはこうしたことをもっと学びながら、韓国とのささやかな平和の架け橋になりたいとは思っている。
コメント