マリア様とザビエル様と平和、そして私たち
昨日の聖母被昇天祭はユネスコとの共催である”平和の鐘を鳴らそう”(4:30)にはじまり、5:00調度に、協会員の皆さん7名と友人の牧師さんを最前列にお迎えして盛大にお祝いできた。盛大というのは、ミサそのものはもっとも盛大なキリストの祈りだから、ここでいう盛大は祝う側の反応のことで、要するに聖堂を隙間がないほど一杯に埋めるほどにたくさんの人が駆け付けたということ。WYDに戻る前に教区の大事なお祝いなので触れることに。説教の音声はないが教区のFBやHPに行くと動画で聞ける。
いよいよ本大会
ともあれ、今回からいよいよWYD本大会になるが、前もって感想を一言述べると、あまりの人の多さにただただ疲れることが多かった。7月26日午後6:00開会ミサ。教皇が来られるのは明日の27日なので、今日のミサはクラコフの大司教が主司式。あいにくの雨網用だったが、それほど降ることもなく間もなく止んだ。司教団はバスでの移動だが、若者たちは各国ごとに国旗を掲げながらまとまって徒歩での移動だ。気の毒がって眺めていると目の前の歩道を日本の若者たちが通った。
ピンポイントで
聖ヨハネ・パウロ二世が何度も里帰りされたわりには、運営はなかなか苦手な国民らしい。警察は厳しく、「カクカクシカジカ通してください」とボランティアの添乗員が何度掛け合っても、「司教様たちであろうが誰であろうがダメはダメ」(と言ったかどうかわからないが)らしく、迂回に次ぐ迂回。通常なら20分もあれば着くということだったがその倍もかかって、ようやく会場へ。ここでも、行きつ戻りつ、スッといかなかった。「やれやれ、着いたね」と隔離された駐車場に降り立つと「郡山司教サマー」と聞きなれた日本語。振り向くと、事務局の角さん!150万もの参加者の中、ピンポイントでの再会に感動したので思わず大司教さんと仲良くハイチーズ。
WYDは老いも若きも
数日後のこととはいえ、思いがけない再会に喜び合い、そして着替え室に向かった。すると、移動する司教団を民族衣装の男女が華やかに迎えてくれた。WYDは開催国として、若者の祭典をみんなで盛り上げようと老いも若きも衣装を凝らして大奮闘している姿を目の当たりにしてほほえましかった。着替え室では、アルバはすでに底をつき、仕方がないのでストーラにカズラだけを羽織ってのミサとなった。ミサはポーラン語だったが、英語の同時通訳もあると聞いていたので小さなFMラジオを持参したがカバンの中に忘れてしまった。それでもミサはミサ。特別の感慨もなく、物足りなさを感じながらまたも迷走バスへ。しかし、帰りはパトカーの先導付でスムーズ。キエルチェから2時間でのクラクフ移動、そして善き牧者教会での結団式、ホテル移動、開会ミサ。長い1日だった。
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