欣喜雀躍
今日は洗礼者ヨハネの誕生日。祭日と呼ばれる日は一年に12回しかないもっとも重要なお祝い日だ。誕生日がなぜそれほど重要な祝日になるのか。マリア様がエリサベトを訪問されたとき、「胎内の子がおどった」(ルカ1.41)というあの子のことだが、単に「動いた」と言わずに「踊った」とあるのは興味深い。びっくりしたのでドキッとして動いたのではなく、救い主の誕生を察知して喜び踊ったということに違いない。英語の訳からすれば、欣喜雀躍といった表現がふさわしいようにも思うが、少なくとも喜びおどった。
光栄です
天地創造に始まった神様の創造の業の最終段階、つまり仕上げとしてのメシア到来の露払いという大役を身に受けるという光栄に与った人の誕生を祝うのだから最大級の敬意をもって祝うのはある意味当然。「わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとはどういうわけでしょう」(ルカ1.43)という母の言葉に、胎内の子も呼応するかのように「神の子の母上がわざわざお出で下さって光栄です!光栄です!ありがとうございます!」ということだったのかもしれない。
手抜きスライドショー
ともあれ、11時のゆらい愛のミサの出席者は天気が悪いということもあると思うが、回を追うごとに減少しているように感じた。やはり高齢化のせいかと。なじみの男性が一人もいないというのも淋しかった。お昼の後の講話は、1時間ほどドイツ巡礼のスライドショーを楽しんでもらおうと思ったが25分で終わってしまった。今年の初めごろ購入したミニプロジェクターでの初めての試み。時間配分と写真の枚数の関係が少し見えてきたので、次回は、9月の中国でのアジア会議の様子と中国の今を紹介したい。
説教音声
*なぜか音声は半分で終わっています。悪しからず。
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