政教分離j
先ず、国際カリタスによる排除ゼロキャンペーン初日の開会式。新進気鋭の憲法学者の講義は休みなしの2時間。話は政教分離の解説から。フランスとアメリカの違いは興味深かった。フランスは強い国家と強い宗教(カトリック)を切り離すことで両者のバランスが保たれた。一方、アメリカの場合は国家は一強というより州の寄せ集めであり、宗教は英国から逃れてきたキリスト教諸派の寄せ集め。いわば弱い国とどんぐりの背比べ的な弱い宗教のいわば共存共栄としての政教分離。日本はそのどちらでもなく、強い国と弱い宗教の関係のバランスを保つため生まれたもの。つまり、神道を宗教としてではなく儀礼として位置づけることによって個人の信仰の自由が保持される仕組み。こうして神社参拝を全国民に強要した国家神道と決別した。
憲法20条
憲法20条で信教の自由が保障された。「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」ちなみに、表現の自由は21条で保障されている。さらに、13条では個人の人権が保障されている。それは、全体の一部としての個ではなく全体とは関係なく個として生きる権利のこと。講師は「一億総活躍ではない」と言ったが、これは現政権の右翼化に対する警鐘のように聞こえた。確かに、「一億総活躍でみんな生き生き」と聞けば素晴らしいとは思うが、やはりどこかの国が連想されて怖い感じもした。
統合力
こうした公共空間を支えるものとして愛国心や宗教の力がある。そこで紹介されたのがR.スメットというドイツの学者の統合力理論。先ず、人の力。典型的な例は小泉純一郎。確かにみんなの心を鷲掴みにして圧勝した。もう一つは働き。体を使って同じことをやったり、同じ曲を演奏したりすることで一体感が得られる。三つ目が物。教会の場合だと十字架や聖歌、旗など。あるものを象徴するもので対象価値と呼ぶらしい。この理論、日本が歩んだ暗い過去を分析するものとしては分かりやすく、天皇制の理解にも有益だとは思うのだが…。ともあれ、人の持つ統合力の点でフランシスコ教皇の右に出る者はいない。
退位の理由
ところで、天皇には国事行為と象徴としての行為がある。昨年、退位を表明されたのは、他の人に代わってもらうことのできる前者ではなく、変わることのできない後者。被災地の訪問や施設訪問などは象徴としての行為なのでやがて年齢的限界がくることになるが他の人に代わることができない。象徴を取り替えることができないからだ。これを一身専属というらしい。こういうわけで、お疲れになったので「退位したい」と言われた。午後は、愛のよろこび解説。すでに読んだ本なので、講師の神父様には悪いが退屈だった。閉会後、ベトナムからの司教さんを迎えてミニ交流。日本で働くベトナム出身の司祭、修道者、信徒訪問のため来日されたという。
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