中国天主教指南
MEアジア会議から帰国以来、中国の教会事情をもっと知りたいと思うようになった。日曜日から始まった司教会議の合間にカトリック新聞の中国通Mさんを訪ねた。すると、「もう一冊あるので」と中国語と英語のガイドブック「中国天主教指南」を頂戴した。
上川島巡礼
去る23日、叙階式パーティー後の二次会の席上、「上川島(サンシャントウ)に巡礼したい。」なんとなく口にした程度だったのだが、「行きましょう、行きましょう!」思いがけない周りの大反響に気持ちが大きく前進して即キマリ。ということで、ボクの関心事は教会事情からもっぱら上川島に。ガイドブックのページをめくること数日。上川島にも教会があると聞いたことがあるがなかなか見つからない。会議の全日程を終えた昨日の夕方、在京の元神学生たちと会館小聖堂で2年前個展開催中に急死した画家の友人田浦君の追悼ミサを待つまでの2時間。時間になるまでと又してもガイドブックを開いた途端閃いた。”そうだ索引だ!”早速、「上川島」をチェック。あっさり見つかった!
広東省の教会事情
広東省に属することも判明。2014年の統計によると、6教区に22万の信者。200の教会に70名余りの司祭と約130名のシスターが働いている。肝心の上川島の教会には司祭は不在のようで「留守番はラム夫妻」とだけ記されている。それにしても、大陸からわずか50キロの海上にあることに驚いた。50キロといえば鹿児島−川内と同じ距離。まさに目と鼻の先だ。465年の時空を超えて、あらためてザビエル様の無念さが思われてならなかった。これは、なんとしてでも上川島から中国大陸に上陸し、ザビエル様の遠大な見果てぬ夢の続きを果たさなければならない。思わず力が入った。
密貿易地が聖地に
かつては、密貿易の基地で無人島だった島も現在では3つの村があって、教会横の建物には一家族が住んでいるとある。おそらく、前述の夫婦かと思われる。教会は、1986年に建てられたもので20m×10mの長方形。鐘楼の高さ約24m。1869年広東司教によって建てられた聖堂の復刻版だという。「この小さな島は聖フランシスコ・ザビエル終焉の地として大変な崇敬を受けている。彼は、中国の人々をこよなく愛し、その文化を高く評価していたが、道案内の人を待つ間の1552年12月3日天に召された。」ガイドブック歴史編の冒頭に記されている。
マラッカからゴアへ
遺体は海岸に埋葬され、2カ月半後の1553年1月17日、マラッカに移送された。すると、当時はやっていた疫病が奇跡的に終息したという。その後ゴアに運ばれ、ご遺体は腐敗することなく3年前に巡礼で訪れたボンジェジュ教会に安置されている。こうしてガイドブックで知った知識を現地に行って検証する楽しみができた。
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