唐浦(トーウラ)
1708年10月11日、憧れの日本上陸を果たし、希望の地に感動の接吻をして以来309年となるシドッチ神父屋久島上陸記念。一泊した民宿のご主人の話だとシドッチ神父様はおそらく海岸で一夜を明かした。「夜に這い上がれるような場所ではない」のだという。日露戦争当時の見張り台跡から見下ろす上陸地とされる辺りはなだらかで「なるほど」と納得していたのだが。それに、沖にせり出した岩場に記された白い十字架は、今は亡き「あのコンタリーニ神父さんが書いたらしい」ということになっていたが、実は、「地元の漁師」いうことも分かった。上陸地は一般に恋泊ということになっているが実際はト–ウラ。唐浦と書く。つまり、唐人が来た浦。つまりガイジンが来た入江ということになる。昔から小道があって地元の漁師さんたちが今も使っているのだという。そうすると、シドッチ神父様は崖を這い上がったのではなく、朝になって辺りの様子が分かったことでその小道を発見して森に至った。そして藤兵衛さと出会った。想像していただけの過去が現実味を帯びて目の前に浮かび上がって来た。
イタリア講演も
そういえば、来年2018は上陸310周年の節目となる年だ。早くも、思いは来年に飛ぶ。鬼が笑うカモ。それはいいとして、教育委員会とも相談して「シドッチ神父上陸地」の碑を立て、唐浦でのミサを実現したい。そうでなくても、教会でのミサ後、教会~唐浦の徒歩巡礼をしたい。そのためにも若者たちの参加を促す必要がある。案内は、あの民宿の気のいいご主人。教えてくれた手前、喜んで案内してくれるに違いない。
邪宗恐ろし
「殉教者シドッチ」(21-22頁)からの孫引きだが、「その人物毛髪は黒く、…眼も紅毛人のさまにあらず、…鼻のすぐれて高きこそ同じからね、…邪宗すすめに…日本のことばにてところどころ自ら答えて…応対せしと聞こゆ、おそろしき事にあらずや」(長崎夜話草)。再生された神父様の髪が黒いのが正解と知った。先日、「密航」のイタリア語訳完成に当ってイタリア三週間の講演旅行から帰国したばかりの著者古居智子さんによると、シチリア島の人には黒髪に黒い瞳の人が多いのだという。シチリアといえば、「神父様の出身地パレルモに巡礼を」という主任司祭の発案は、来年は実現しそう。それにしても、夜話草の最後の言葉。思わず失笑した。「紅毛人でもなければ日本人でもない、一体どんな人間?オ~恐っ!」どんな空想を巡らしたものやら。
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