教会に行かないが無神論者ではないというゴッホは貧しい人々に無関心な教会は嫌い

貧しさに寄り添う

1888年の作品。ほぼ毎日、みんなでのお昼の後、「二次会」と称して一人BSを見る。世界のニュースの後、1時からの3チャンネルの名画がお目当て。今日は、「炎の人ゴッホ」。19世紀末の著名な画家ゴッホのこと。ウキペディアによると1853年‐1890年となっているのでわずか37歳で亡くなっていることになる。父親が牧師であったことから同じ道にあこがれたが、先生たちの評価が低く資格を得ることはできなかった。しかし、彼の熱意に動かされた一人の先生の好意で、炭鉱で働く最も貧しい人々られる。しかし、やがて、福音宣教は言葉だけでは十分でないことに気がついた彼は牧師館を離れ、人々と同じ貧しさの中に身を置きながら病人や飢えた人々のために献身的に働く。1年後、弟が尋ねてくるが、兄の惨状を目の当たりにして愕然とする。「いったいどういうこと?ワラで寝るなんて動物みたいじゃないか。」「ベッドは貧しい人に上げた。」

奔放に

ゴッホが愛したケー親子結局、弟の説得に従って我が家に帰ることに。そして、これまでも描いていた絵の世界に大きく舵を切ることに。しかし、なかなか思うような絵が描けなくて悩むことに。しかも、「牧師のくせに教会にも行かない」と苦言を呈する父親との折り合いも悪く口論が絶えない。その頃、ゴッホは、未亡人となって8歳の男の子と共に身を寄せていた従妹のケーに心惹かれるようになり、結婚したいと熱烈に願うが、本人からも家族からも猛烈な反対に会い、彼女は実家に帰ってしまう。諦められないゴッホは彼女の実家を訪ね、食事中にもかかわらず強引に押し入る。ケーは奥の部屋に逃れ、両親の苦しい説得が続く。

さらに奔放に

実際に見たのはそこまでだが、ネットからの知識によると、結局、片思いで終わってしまったらしい。これもネットからの知識だが、娼婦とその子供や母親と暮らしたり、モデルの女性が身ごもったりと奔放な生活だったらしい。37歳の短命の理由もそこら辺りにあるのかもしれない。ともあれ、福音の伝道者として最も貧しい人々に寄り添い、福音の心をまっすぐに生きた高邁な聖職者だっただけに、絵の世界に入ってからの生活との間の落差の大きさに戸惑ってしまう。それでも、奔放な「炎の人」の秘められた聖なる過去は、たとえ一年でも神様のもとでは決して忘れられてはいないに違いない。

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