交流はミサ後がいい
先週の主日のミサ後、「最初にフィリピン語、次にベトナム語、最後はみんなで日本語で主の祈りを歌う」ことに合意して分かれたのだった。久しぶりにタガログ語の「アマナマミン」が聞ける。ベトナム語の主の祈りも楽しみ。そうして迎えた復活後第三主日のミサ。フィリピン人は一人の男性だけ。どうも歌う勇気はなさそうだったので「唱えてもいいです」が通じない。ベトナム人女性が多言語のテキストを持って彼に示したのでようやく唱えてくれた。ところが、ベトナム人たちも歌うのでなく唱えたのでがっかり。来週は普段通りにしよう。交流はミサ後がいい。
伝統信仰の強み
ミサ後人の良さそうなフィリピン人男性は「ありがとうございました」と言って先に帰った。残ったベトナム人たちに問いただした。「どうして歌ってくれなかったの?」怪訝な顔で困惑気味。「ベトナムでは普通に唱えるだけで曲はない」と分かって一同納得。それにしても、主日のミサで「主の祈りは歌うもの」という思い込みは怖い。そうと分かっていたら「唱える」に統一できたのに。それにしても、あのフィリピン人男性、ベトナム人から「ここです」と教えられて始めるなど、こちらが戸惑った。しかし、ミサ後マリア様の前に出て祈り、十字架を仰ぎながら十字を切ったりとよく見かけるフィリピン風の信仰表明には伝統を感じた。
ミサ後、三人の在宅信徒にご聖体奉持。二人の信徒が同伴。3回目となるが、小教区司祭の生活のリズムが整いつつある。
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